柳澤 そうですね……。編集は事実上、自衛官の三佐の子がやっていて、個々の記事についてはいろんなアイデアが出ましたから、よほどおかしいもの以外は全部、好きなようにやらせていました。その中で思い出深いと言えば……そもそも雑誌名は、私が考えてもインパクトのある気の利いた名前が出てこなかったので、当時、広報課に配属された女性キャリア第1号の子のアイデアを採ってセキュリタリアンにしたんです。でも、陸幕の広報室長なんかは、最後まで正しく発音できていなかったですね(笑)。
もう一つ、表紙のデザインについても、私は若い婦人自衛官が戦車に寄りかかっているような写真を持ってくるのはどうかと考えていたら、官房長に「君ねえ、『明るい農村』じゃないんだから、そんなダサい企画はやめなさい」と言われまして(笑)。それでああいう表紙になったんです。
「問題になっていたら大変だったでしょうね」
――柳澤さんは審議官時代のインタビューで、「遊モア辞典」というコーナーがヒットだったと仰っていますね。自衛隊にまつわるいろんな用語を、ちょっと皮肉めいて解説している企画です。96年には『自衛隊遊モア辞典』というタイトルで書籍化もされました。
たしかに面白いのですが、今読むと、ここまで書いていいのかなという記述もあります。たとえば「朝日新聞」の項目には、「(教科書問題などで)実在しなかったことを書き立て、社会問題化させるのが得意」「(自衛官の読者の場合)いしいひさいちの漫画がおもしろいなどの理由で、なお定期購読を廃するにいたらない例が多い」とあり、また「憲法9条市場」の項目には、「自衛隊及び隊員の家族を憲法違反の存在として極力貶めようとするところに、最大の特色があった」などと、結構際どいですね。当時はこういうものは問題なく通っていたのでしょうか。
柳澤 これは……誰もチェックしなかったからだね(笑)。
――え、そうなんですか(笑)。内容に関しても、決裁などは?
柳澤 決裁はしてないです。部下に全部任せてましたから。でも何か起きていたら、私はずいぶん怒られていたかもしれないね。
――では、編集部はかなり自由な雰囲気だったんですね。
柳澤 そうですね。私も率先してそういうふうにやろうと思っていたので。ただ、本当にこれ、問題になっていたら大変だったでしょうね。言われてみれば……(笑)。
内外から“批判”もあったが……
――当時、内外から批判はなかったですか。防衛研究所主任研究官などを務めた佐島直子さんは、『セキュリタリアン』について、「アダルト・ヴィデオの女優を戦車に乗せてみたり、戦前の日本軍に模して自衛隊をおちょくったりと、『おふざけ』が過ぎている」と著書で批判しています(『誰も知らない防衛庁』)。
柳澤 批判はあるでしょう、それはね。ただ、何も批判されないようなものでは逆に売れないということもあるしね。そういう意味では、多少の批判があるぐらいがちょうど良いだろうな、とは思っていましたね。
――なるほど。ところで、先ほど部下の幹部自衛官が『セキュリタリアン』の編集に関わっていたと言われました。いま評論家になっている潮匡人さんもそこにいらっしゃったんですか。
柳澤 潮君はねえ、当然噛んではいると思いますよ。