柳澤 それはね、守屋君流だと思いますよ。私は情報公開請求者のリストの問題(情報公開請求をしてきた人物について、防衛庁内で個人情報をリスト化していた問題)で官房長を更迭されたんですが、あれも自分の在任中に起きた話ではなかったので、もっとうまくやっていれば、たぶん当時の上層部の発想としては私が1年次官をやって、その後に守屋君に受け継ぐという流れだったんじゃないかな、と思うんです。彼のほうが年は2つ上ですから、それで年齢が間に合うかという問題はあったけれど。
とはいえ、客観的に見ても、私は自分の役人としての立ち振る舞いには未熟さがあったと思っているので、次官レースに負けるべくして負けたんだなという感じで、そこには恨みも何もないんですが。
次官レースの“リアル”
――官僚になってある程度上にいくと、自分は次官レースに乗っているな、と思うものなんですか。
柳澤 それは……私はずっと、課長になったときから勝手に思ってました(笑)。
――その上で、次官になるための布石を打っていくような感じですか。
柳澤 いや、それはよくわかりません。布石を打つというよりは、その時々に与えられた仕事の結果が蓄積されていって、それが出世に繋がるということだと思います。でも、たぶんそれも、無難に過ごすだけではダメなんですね。一方で、最後の最後の、最高幹部になったときの政治家との関係とか、そういうところも本当にうまくやらないといけないんだなと思いました。
――守屋さんは最近、雑誌『情況』でのインタビューで、柳澤さんについて言及されています。いわく、自分は現場に行っていたが、柳澤さんはアイデアを出すのは上手かったものの、現場には行っていなかったと。この認識はどう思われますか。
柳澤 それはあるかもしれないですね。私は広報課長のときも、こうしたらどうだろうというアイデアが色々出てきて、周りが一生懸命それを実現してくれたんですが、彼は防衛施設局などの現場で色々苦労もしながら、実績をあげてきたんだろうなと思います。
誰にも無駄な死に方をさせちゃいけない
――ありがとうございます。最後の質問になるのですが、退職後、集団的自衛権などについて批判的な発言をすると、自民党の政治家から非難されることもあるそうですね。そうした中でも、発言を続けられる柳澤さんの原動力とは何なのでしょうか。
柳澤 おかしいと思ったらおかしいと言い続けないといけないだろう、というのがまずあります。ただ、そこでなぜ「おかしい」と思うのかと言われれば、やっぱり話はイラクに戻るんですね。戦争に対する見方が自分なりにかたまったのは、自衛隊のイラク派遣に関わったときだったんです。そのときに初めて、自衛隊から本当に犠牲が出るかもしれないという状況に直面しました。そこでもし死者が出ていたら、私は何を、どう責任をとったらいいんだろうというのが……もちろん、責任の取りようはないです。ただ、間違いなく自分にも責任はあると思ったんです。
もちろん、国を守るために必要なときは、やっぱり戦わなきゃいけないだろうと私も思ってます。けれども、そうならないように政治が、外交がどこまで手を尽くしたかということなしに、無為無策のまま戦争になっちゃったとしたら、それはやっぱり違うだろうと。だから、無駄な戦争をしちゃいけない、誰にも無駄な死に方をさせちゃいけないというのが、私の行き着いた原点です。そのためにできることは全部やるべきだし、その考えなしに勇ましいことを言う人には、「それは違うだろう」と言っていかなきゃいけないと思っているんです。
撮影=平松市聖/文藝春秋