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年少者には伝わりようのない、センスオブワンダー

『G-レコ』では、設定そのものにもセンスオブワンダーを仕掛けたつもりだったのだが、それは視聴者に感じられることはなかった。

 なぜなら動画が氾濫して、日常的なものになっていれば、アニメであるのでなにをやっても珍しがられることはなくなってしまったからだ。

 創り手としてはかなりの自信をもって近未来の在り得るかもしれない設定を創作したつもりで、しかも、それらは絶対に無理、在り得ない、という寓意を込めたつもりだった。

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アニメを作ることを舐めてはいけない -「G-レコ」で考えた事-』(発行:KADOKAWA/著:富野由悠季/協力:サンライズ) ©Yoshiyuki TOMINO 2021, ©創通・サンライズ

  が、そんな設定は大人に対してのものだから、年少者には伝わりようがない。しかし、このことは想定内のことで、自分が老齢になり、G-セルフに“瞳”を入れるといったことも容易に思いつかなかったのだから、考え方を変えることなどは大人にはまずできない。

 そういうことができる人というのは、おおむね児童の頃から天才、神童といわれて、本人が目指すべき道を一直線にすすむものだ。でなければ、よほどの外圧がかからないかぎり、方向転換とか考え方を変えることなどはできない。

 一般的な才能がある大人は、その時代の環境に適応してその時の社会体制に順化して一生を全うする。そこで、それなりの成功を収めたにしても、それはその社会の規範内でのことで、100年、ましては200年という時代をカバーできるような業績をのこすことはない。それでも立派ではあるのだ。

常識となっている近未来像に異議申し立て

 で、『G-レコ』なのだが、この作品に込めた設定をあえてセンスオブワンダーとしては描かず、物語の光景(背景)としては当然のものと描いて、現代的な説明をしていないのは、現在常識としている近未来像に異議申し立てをしているからなのだ。

 すでに書いたように、大人たちには考え方を変える余地がないから、問題を解決してもらうためには、現在の幼児、児童たちに将来的に考えてもらって解決策を見つけてほしいという願いを込めて、問題点を列挙したつもりなのだ。

 また設定の説明をすることを控えたのも、それぞれの事象について、ぼくが説明できるだけの知識をもっていないからである。