「ガンダム」の生みの親、富野由悠季が手掛ける劇場版『Gのレコンギスタ』。その制作過程で感じた事、考えた事を赤裸々に思いのまま綴った書籍『アニメを作ることを舐めてはいけない -「G-レコ」で考えた事-』(KADOKAWA)がガンダムファンを中心に大きな話題を呼んでいる。
ここでは、同書の一部を抜粋。『Gのレコンギスタ』の企画構想段階での考え、若い世代に伝えたかった思いについて紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)
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理論的な裏付けがほしかった
自分なりにレコンキスタのイメージ画やら、ビクローバーのラフの図面を描き始めた頃から、図面だけではダメだと感じて書いていったもので、歴史的なことや概念的なことを決め込みたかったからで、理論的な裏付けといったものがほしかったのだ。
が、ここでいう“理論的な”という言葉に騙されてはいけない。“若さゆえの先走り”といったもので、恥ずかしいことは恥ずかしい。
8年前に書いたことで覚えているものは骨格だけで、これをもとにして子供たちという次世代を担う世代に見てもらえる作品を企画したのである。
ことに、恥ずかしい部分は、材料工学や経済問題を書こうとしている部分で、単語が“らしければいい”という感覚でならべてあるだけなのだ。
フィクションの本物らしさに騙されてはいけない
それで思い出すことは、2、3年前だったか。ある大学生の、「ぼくは最近までミノフスキー粒子ってあるものだと思っていました」という発言に直面して、絶句したことがある。むろん、その方は、「去年、あれがフィクションだと知りました」と続けてくれたので安堵した。
実学は実学として修めていなければ、現実問題として仕事も見つけられないことになるのだから、フィクションの本物らしさというものに騙されてはいけない。
これはユーチューバーとゲーム世代が圧倒的に多くなっている現在の状況では、あえてお伝えしておきたいことでもある。
前文の総論(編集部注:富野氏による『G-レコ』の企画当初の概要案)を書いていた時期は、社会学者のハンナ・アーレントの著作に影響されていて、いやでもアリストテレスにまで遡らざるを得なかった気分があってのことで、それが文章を判りにくくしている。
だからといって、前文を撤回する気がないのは、群集=ポピュリズムという図式はぼくの頭のなかに定着しているからだ。