事前の情報は万端
12月7日、最後の補給を終わって、補給部隊には次の会合点を与えて帰路につかせ、機動部隊は明朝突撃すべく第四戦闘速力 (24ノット) で南下をしている時、南雲長官が私に言った。
「ともかくも、ここまではもってきてやった。あとは飛行機がやるかやらないかだ。航空参謀頼んだぞ」
「長官、飛行機に関する限り大丈夫です」
この時には、もう夜陰にはいっていた。敵の哨戒機に発見されるおそれもない。成功についてはほとんど確信に近いものをもっていた。
それというのも、われわれが単冠湾をあとにして以来、大本営からはそれこそかゆいところに手の届くような情報が送られていたからである。
ことに最後の、
「ホノルル市街は平静にして、灯火管制を為し居らず、大本営海軍部は必成を確信す」
は、大いにわれわれの士気を高からしめた。
機動部隊は8日0時30分、第六警戒航行序列 (航空機の立場からいえば、これは戦闘隊形である。)に占位し、攻撃隊を発進する準備隊形を整え、1時には巡洋艦利根、筑摩の零式水上偵察機各1機が、夜闇の空に飛び立った。直前偵察のためであり、ラハイナ泊地と真珠湾を偵察し、その後適切な情報を送ってくれた。
真剣な顔つきで握手したりはせず
8日の午前零時ごろには、飛行服に身を固め、準備を整えた搭乗員が、続々と飛行甲板下の搭乗員室に集まってきていた。ここで敵情やわが方の位置、今後の行動予定などを聞いて、搭乗員としての航法計画を立てるのである。
私はそのころ搭乗員室にはいって行ったのであるが、どの搭乗員もこれほどの大事を控えている人たちとは思えないほど静かな顔つきをしていたし、ニコニコしながら話し合っていた。
ちょうど総指揮官の淵田隊長がはいってきた。もちろん彼は平素とちっとも変わっていない。
彼を見つけた私が、
「おい、淵! 頼むぜ」
と呼びかけたところ、
「お、じゃ! ちょっと行ってくるよ」
まるで、隣にタバコか酒でも買いに行くような格好であった。
よみものとか映画などでは、ここで真剣な顔つきをして握手したりしたことになっているが、それは興行用のものであって、事実とは関係ない。