コロナ禍のSNSから、やせ我慢しなくなった政治家たちまで――、新著『コロナ後の世界』が注目を集める内田樹さんと、本年『偉い人ほどすぐ逃げる』が話題となった武田砂鉄さんが、コロナ後の社会を語った。(全2回の1回目/続きを読む

武田砂鉄氏(左)と内田樹氏(右)

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会ったこともない人の身長のイメージ

武田 内田さんとは昨年、僕がパーソナリティを務めるTBSラジオ『ACTION』でご一緒しましたが、その時もリモートで繋いで、今回もリモート。なので、実はまだ一度もお目にかかったことがないんですよね。

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内田 コロナ禍のせいで、話したことはあるのに会ったことがない人がいますね。武田さんって背が高いんでしょ?

武田 185センチあります。

内田 そんなにあるんだ。写真だけ見ても分からないのが身長なんです。昔、はじめて橋本治さんに会ったとき185センチくらいあって見上げるほどの大男だったので驚いたことがありました。僕は176センチありますけれど、はじめて会った人には「もっと背が低くて痩せてて意地悪そうなヤツだと思ってた」とよく言われます(笑)。

武田 文章からイメージする、会ったこともない相手の身長って何なんでしょうね。僕も細かいことをチクチク書いている人間だからなのか、ちょこまか動いているようなイメージがあるらしいんですが、実際の動きはかなりノロいです(笑)。

武田砂鉄氏

アイディアの尻尾を追いかけて、予想もしていなかった結論へ

武田 ちょうど橋本治さんへの追悼文が、今回の新著『コロナ後の世界』に収録されていますが、橋本さんは「自分で自分に向かって説明している」ような書き方をしてるんだと書かれていて、なるほどなと思いました。文芸評論や学術的な文脈で論じられにくい領域を深掘りしていくときの橋本さんの文章のあり方というのは、内田さんの今回の本にも共通するところなのかなと感じます。

内田 橋本さんの本は若い頃からずっと読んでいましたから文体上の影響はすごく受けていると思います。橋本さんに教わったのは「こんなふうに自由な書き方をしてもいいんだよ」ということですね。

 僕は長く学者をやっていたので、どうしてもアカデミックな定型的なスタイルに縛られてしまう。学術論文だと最初に序文があって、全体の構成を説明し、それから順に論を構築して、最後に結論を出す。つまり論文全体を上から俯瞰的に一望している書き手が書いているように書くわけです。でも、序文を書いている段階で結論まで見通していることなんか実はあり得ないわけです。アイディアの尻尾を追いかけているうちに、気がついたら予想もしていなかったところに出てしまう。実際に学術的知性であっても、そういうふうに活動しているわけです。でも、そのプロセスをそのままに書くことは論文では許されない。僕はそれがとても不自由に感じられた。これからどうなるのか分からないまま書き進め、思いがけないアイディアに出会って、そこから話があらぬ彼方に逸脱してゆく……という書き方がしたかったんです。実際に頭の中はそういうことが起きているわけなんですから。そういう書き方を「してもいい」と教えてくれたのは橋本治さんですね。