1970年作品(125分)/ポニーキャニオン/3800円(税抜)/レンタルあり

 先日、雲南省とチベットの境にある街にとある仕事で出張してきた。空港やホテルですら標高三五〇〇メートルあるその街での滞在は、到着して数日後に高度に順応するまでの間、とにかく大変だった。

 なにせ、酸素が薄いのだ。高山病になりかけてホテルの部屋で休んでいても、トイレまで小走りしてベッドに戻ったらもう息切れしている。しかも、その息切れがなかなか収まらない。東京では気づかない「酸素のありがたさ」を体感させられる旅となった。

 今回取り上げる『富士山頂』は、筆者が苦しめられたのとほぼ同じくらいの標高を舞台に、途方もないプロジェクトに挑んだ男たちの物語である。

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 時は一九六〇年代前半。気象庁の葛木(芦田伸介)はある計画を思い立つ。富士山頂に気象レーダーを設置すれば日本列島から遠く離れた場所に発生した台風の動きも察知し、被害を減少させられる――。ただそれは、現在とは異なり登山道も整備されていない標高三七七六メートルまで大量の建築機材・資材を運び、厳しい自然環境の中での作業を要する、当時の状況下では無謀とも言える過酷な計画だ。レーダー製造を請け負った三菱電機の技師・梅原(石原裕次郎)らプロジェクトチームが、それに挑戦していく。

 アバンタイトルの段階で、彼らの直面する困難が描かれている。梅原らは雪深い冬の富士山頂を地質調査のために訪れるのだが、いきなり隊員の一人が高山病に倒れ、やがて全員が具合悪そうにうなだれることに。加えて「六時間以上山頂にいると九〇パーセントはやられます」というセリフや、雪面に器具を打ち込む大成建設の現場監督(山崎努)の絶え絶えな荒い息使いが、「酸素の薄い世界」の恐怖を克明に伝えていた。

 その後、入札や作業決定をめぐるゴタゴタや、ブルドーザーで山頂近くまで目指そうとする勝新太郎と佐藤允の扮する運搬業者――といった脇の筋の場面を挟みつつ、物語はいよいよ佳境へ向かう。

「何が空気がいいとこだよ。空気が薄くて頭がガンガンする」と山頂の建築現場から次々と逃げ出す作業員たち、建屋が極寒の状況から改善されないことを嘆く測候所員。予想を上回る環境が立ちはだかり、工期は大いに遅れる。

 そうした中で印象的だったのは、疲れ果てた梅原がいったん東京に戻る場面だ。酸素の濃い世界に戻ってホッとした経験のある身からすると、高地から帰宅した梅原の安らかな寝顔からは家庭の温もり以上に、「酸素の癒し」を感じ取ることができたのである。

 人間は酸素に生かされている。本作は、そのことを改めて確認できる作品といえる。