心を支える「祈りの場所」
確定死刑囚たちは孤独と監視の中で時間を過ごすが、そうした「日常」から少しでも離れ、自己の内面を静かに見つめることのできる場所が「教誨室」だ。希望者は、月に1回程度、宗教者である教誨師から教誨(教えや諭し)を直接受けられる。
教誨室は仏教とキリスト教の2つの部屋が用意されており、室内には祭壇や宗教関係の本などが置かれ、どこか落ち着いた雰囲気が漂っている。仏教の部屋では、畳の部屋に仏壇が設けられ、ろうそくが立てられている。キリスト教の方には、教誨師とともに賛美歌を合唱するためのCDプレーヤーもあった。さらに、教誨室の窓からは、普段は目にすることのない外の景色をわずかながらも見ることができる。
教誨には刑務官も立ち会うが、手錠や腰縄がされることもなく、穏やかな雰囲気の中で確定死刑囚と教誨師が向き合う。宗教の教えについて熱心に尋ねてくる者、自分の犯した罪の重さに対する苦悶をぶつけてくる者……姿はさまざまだが、家族や友人など社会から隔絶された環境に置かれた被収容者たちにとって、すこしでも心を潤すことのできる貴重な場所となっているようだった。
拘置所側にとっても、被収容者の「心情の安定」を図るという重要な目的を果たす役割を担っている。被収容者の誰もが使える施設だが、東京拘置所によると、訪れるのは確定死刑囚が多いという。
このほか、拘置所内の医療施設には約10人の医師と、約20人の看護師が所属している。医療機関として病院指定も受けており、CTスキャンやレントゲンなどの本格的設備や、歯科治療のための機材も整っている。
だが、確定死刑囚たちがどのように一日を過ごすかという流れはわかっても、実際の様子を知ることは困難だ。東京拘置所の取材に訪れた際も、確定死刑囚の収容されているフロアを訪れることは認められず、別のフロアで同タイプながら未使用の「単独室」を見ることができただけだった。
死刑判決が確定すると、死刑囚は外部との接触が厳しく制限され、許可された親族、友人以外とは面会や手紙のやりとりはできない状況に置かれる。法務省は、死刑執行を待つ身である確定死刑囚の「心情の安定」を理由に挙げるが、確定死刑囚の姿が厚い秘密のベールで覆われている事実に変わりはない。