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 このときは臨床試験の対象になりませんでしたが、二度目の応募で再びご主人と一緒に外来の診察室にやってきたFさんは、「では、歩いてください」とお願いすると、足元は少しおぼつかないものの、診察室の中を自力で歩きました。「これなら大丈夫でしょう」ということになり、他の適格基準にも合ったので、Fさんは病棟に入りました。

被験者になるための歩く練習

 ところが、入院するとすぐに車いすを使うようになったのです。「診察したときには歩けたのに、おかしいな」と思ってご主人に尋ねると、こんな答えが返ってきました。

「じつは、診察室で必ず歩くように言われると思い、家で歩く練習をしていたんです」

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 ご主人は、最初の診察のときのことをよく覚えていて、「被験者になるには、自分で歩けることが重要なんだ」と理解されていたようです。二度目は絶対に臨床試験に入ろうと、Fさんに付ききりになって、歩く練習をさせ始めました。Fさんは、ご主人の励ましを受けながら涙ぐましい努力を続け、診察室の中を一生懸命歩いていたのです。

 このFさんにも、G47Δは非常に有効に作用しました。

藤堂先生

 MRIの画像上では病変部がずっと見えていたので、前出のEさんのように「完全奏功(治療ですべての腫瘍が消えること)」ではありませんでしたが、臨床試験上は「部分奏功(治療前より腫瘍が小さくなり状態が改善すること)」となりました。

腫瘍の進行がないのは本来ならあり得ないこと

 それだけではありません。

 G47Δの治療を受けてから11年以上経過した現時点(2021年11月現在)でも、Fさんは生きているのです。しかも、腫瘍の再発も見られません。

「はじめに」に書いたとおり、膠芽腫が再発した場合の余命は3ヵ月から9ヵ月程度、Fさんのように再々発した場合の余命は約3ヵ月です。放射線や抗がん剤による治療が効かなくなり、膠芽腫を再々発した患者さんが、腫瘍の進行がないまま11年以上も生存できるというのは、本来ならあり得ないことです。

 後日談ですが、その後、独立データモニタリング委員会がG47Δの投与量を一定にすることを決めた際に、被験者の条件の一つも変更されました。「介助なしに生活できる状態であること」は、「自分に必要なことはできるが、ときどき介助が必要」に変えられました。脳腫瘍の患者さんは最初の手術で麻痺などの後遺症が残ることが多く、臨床試験を6例行なった段階で、当初の条件では厳しすぎると判断されたためです。