例えば、グリーン投資が資本主義経済を牽引していくべきだとされる。電気自動車、再生可能エネルギー、水素飛行機、そしてそれに付随する充電器やバッテリーなどを含めると、たしかにそこには広大な新市場がある。これをうまく利用すれば、資本主義は経済成長を続け、より安定した、高賃金の仕事を作り出しながら、持続可能な経済への転換が可能になる。「経済も環境も」同時に追求することが、可能だというのである。
資本主義のグリーン化という名目
ところが、ここには自明の困難がある。気候変動対策は2050年までの脱炭素化というかなり急速な二酸化炭素排出削減を求めている。一方、歴史を振り返れば、経済成長とともに市場規模が大きくなり、エネルギーや資源の消費量は増え、二酸化炭素排出量も増大してきた。だから仮に、省エネや再エネ導入が進み、多くの資源がリサイクルされるようになったとしても、経済成長そのものが、脱炭素化を短期間で実現するための致命的な足枷になってしまうのである。
事実、再生可能エネルギーのような環境に優しいものをつくるのにも、資源採掘や製造過程で環境負荷がかかる。だからこそ、どこかで総資源・エネルギー消費量そのものを減らしていく方向に舵を切らなければならない。さもなければ、資本主義のグリーン化という名目のもとで、途上国はより激しく収奪される可能性さえある。リチウムやコバルト、銅といった資源をめぐって地政学的リスクは高まり、途上国の住民や環境はさらに徹底的に搾取・掠奪されるのだ。
また、経済格差が是正されたとしても、人々が新たに手にしたお金でより環境に優しい活動をする保証はどこにもない。ファストファッションやファストフードがますます消費されれば、地球環境の劣化は進む。だとすれば、先進国は無限の経済成長を目指すことを止めるべきではないか。つまり、「脱成長」である。