バブル崩壊後の1995年4月、鈴木俊一都政が4期16年の歴史に幕を降ろした。それ以降、四半世紀にわたって5人の人物が入れ替わり立ち替わり都知事の座に就いた。青島幸男、石原慎太郎、猪瀬直樹、舛添要一、そして小池百合子。彼らは奇しくも国会議員経験者か作家という肩書きを持つ。地方行政のプロではない。単なる目立ちたがりの有名人だ。
都知事選が全国的な知名度を競い合う「人気投票」と化して久しいが、青島知事による世界都市博覧会の中止を唯一の例外として、選挙戦で声高に訴えられる目玉の公約の多くが実現されないままだ。極めつけは小池知事である。初当選の際に約束した「7つのゼロ」のうち、達成とされているのは犬猫殺処分ゼロだけだ。満員電車ゼロに至っては、新型コロナ感染拡大によってテレワークが普及したが、一向に実現される気配はない。
しかも、有権者である都民自身が、公約のことなど選挙が終わった途端にころっと忘れてしまう。かくして、人気投票の勝者は、都民から白紙委任状をもらったと勘違いする。マスコミ受けを狙った、思いつきベースの政策を打ち出し、あるいはカネを巡るスキャンダルでワイドショーにネタを提供し続けることになる。
なぜ「人気投票」都政がまかり通ってきたのか
こんないい加減な都政運営が長く許されてきたのも、他の自治体がうらやむ潤沢な都税収入とバランスの取れた都財政という基盤があったからである。
しかし、20年前はそうではなかった。石原知事が「とんでもないところに嫁に来てしまった」と嘆いたとおり、鈴木都政末期から悪化した都財政は、2000年前後に危機的な状態に陥っていた。
石原知事と言えば、ディーゼル車の排ガス規制や新銀行東京の設立など派手な政策が目立つが、その裏では地道な財政再建への努力が続けられた。実際、都職員の給与カットや新規採用の大幅抑制なども断行された。