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「グリコの由来は息子を救った“グリコーゲン”」「ポッキーはボツになりかけた」… 〈創立100年〉江崎グリコの創業者がショックを受けた‟女学生”の意外な一言

「グリコの由来は息子を救った“グリコーゲン”」「ポッキーはボツになりかけた」… 〈創立100年〉江崎グリコの創業者がショックを受けた‟女学生”の意外な一言

2022/03/13
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 すると女学生たちはクスクスと笑いながら「だってなんだかこの絵の顔がこわいんですもの」と答えてくれたそうです。この一言にショックを受けた江崎は、より親しみを抱かせねばとパッケージの改良を決意。

 当時、開催されていた極東選手権競技大会の陸上競技に出場していた、フィリピンのフォルチュナト・カタロン選手が笑顔でゴールインする姿や、NHKの大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』の主人公、金栗四三さんらの姿に着想を得て、笑顔に変更しました。今ならば笑顔にするというのは当然と思うかもしれませんが、当時、女学生の言葉に受けた衝撃は相当なものだったのでしょう。

ゴールインマークの表情が笑顔にバージョンアップされたパッケージ。

2014年からネオン看板がLEDに

――ゴールインマークといえば大阪・道頓堀のグリコサインが有名ですが、この歴史はいつから始まるのでしょうか。

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石橋 最初の看板が登場したのは1935年です。足袋メーカーの福助足袋さんがここに広告塔を建てていたのですが、その後を継ぐ形で、高さ33mの初代グリコの看板が設置されました。そのため、初代は今のようなゴールインマークが前面に出ているものではなく、『グリコ』という名称がドーンと縦に描かれたデザインでした。

 1955年に登場した2代目から、今のようなゴールインマークが中心に据えられたものになっています。2014年10月から稼働した6代目はLED仕様に変更になり、背景の陸上競技場を世界の様々なランドマークに変更したり、そもそも全面を変化させて江崎グリコの別の広告を映し出したりできるんですよ。

「ポッキー」は企画会議でボツになりかけていた

――『グリコ』の大ヒットに続き、酵母に着目して生まれた『ビスコ』など、次々とヒット商品を生み出します。そして、1966年にまたしてもエポックメイキングな傑作を生み出しました。それが『ポッキー』です。

発売当時の『ポッキー』。今と違って横長のデザインなのが驚きだ!

石橋 当時の日本は、1958年に初めて都内の百貨店で「バレンタインフェア」が開催されるなど、チョコレートに注目が集まっていました。そんな背景もあり、チョコレートの新商品開発が行われていたのですが、当時の若い社員たちが出したアイディアのなかに、“ながら食べ”ができるお菓子というものがありました。