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車いす姿を見て「あんた、いつここに入ったんだ?」と訊ねる人も…“首から下の機能を失った”内科医の“入居者に寄り添った”回診スタイル

『あきらめない男 重度障害を負った医師・原田雷太郎』より #1

2022/04/26

source : ノンフィクション出版

genre : ニュース, 社会, 働き方, 読書, 医療

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 普段の回診では、相手の言葉に対して「そうですか」と答える原田だが、この時ばかりはそうも言えない。いすを勧めて座ってもらうと、原田は仕事を中断して彼の話に耳を傾けることにした。

 話がどんな内容であったとしても、原田が相手の話を否定することはない。しばらく話をしているうちに次第に落ち着きを取り戻してきたようだ。その様子を見て取ると、原田は目の前にあったお菓子を勧めた。

「内緒ですよ」

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 原田が笑顔でそう言うと、彼はお菓子を食べ始めた。次第に顔に笑みが浮かび始める。さっきまで「俺は今日死ぬ」と言っていたことが噓のように晴れやかな表情になり、最後には「また来るよ」と言って部屋を出て行った。

「“また来る”ということは、とりあえず“今日死ぬ”ことはなくなったわけです。私の経験上、精神安定剤を飲むよりも、人と会話をすることのほうが効果は大きい」と原田は笑う。

 施設利用者の中には、原田が障害者であることを理解している人もいるし、していない人もいる。理解している人の中には、「先生も体を大事にしてね」などと励ましてくれる人もいる。

 逆に認知症の人の中には、車いすに乗っている原田の姿を見て「あんた、いつここに入ったんだ?」と訊ねてくる人もいる。自分の仲間だ、新入りだ、と思って心配してくれているのだ。そんな時原田は「ついこの前入りました。よろしくお願いします」と挨拶する。

 認知症も段階によって色々な反応を見せるものなのだ。

「断る」ではなく「考えてみる」

 回診をしていると、難しい要望が出ることがある。この日は男性の入所者から「もっと硬いものが食べたい」というリクエストが出た。この要望は珍しいものではない。

 原田自身の食事もそうだが、高齢者施設では、顎や嚥(えん)下げの機能、あるいは消化器の状態などを考慮して、柔らかめの食事になりがちだ。この要望を出した利用者も、現在はミキサーでトロトロにした食事を出されている。噛みごたえがないので、食べた気がしないのだ。

 気持ちはわかるが、現状では彼の食事を普通食に戻すのは難しい。ただ、そんな時も原田は言下に却下することはない。今は無理でも、あるいは急に硬くするのは難しくても、様子を見ながら少しずつ弾力のあるものに移行していくことは可能かもしれない。だから「断る」のではなく、「考えてみる」という対応を心掛ける。

 食べ物の硬さというのは、若い人、あるいは健康な人にはどうでもいいことのように思えるかもしれないが、高齢者施設で暮らす人にとっては重要な問題だ。