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棺の中に入れた「友引人形」がバラバラに…

――友引人形?

下駄 友達の身代わりとなる人形のことです。友引の日は「友を道連れにする」という言い伝えがあって、一般的には葬儀や火葬を避けることが多いんです。でも、どうしても友引にあたる日に火葬をせざるを得ないこともある。そういう時は、“友引人形”を棺に収めて、「友引人形に友の身代わりになってもらう」という風習があるんです。

 その友引人形には陶器製のものがあるのですが、陶器製の場合、関節部分がプラスチックでできているものが多いんです。それを火葬すると陶器の部分だけ残って、プラスチックの関節部分は溶けるから、全身バラバラになってしまうんですよね。

 火が入ると人形の色も落ちるから、火葬が終わって遺族の前に出てくる頃には、まだら模様の全身バラバラになった人形が棺の中に散らばっている。それを見た遺族の方々が、ざわついたこともありました。

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 見た目も怖いし、なにより僕は友引人形の目的があんまり好きじゃなくて……。身代わりのための人形って、人形がかわいそう。あと、亡くなった人が友人を道連れにするからという理由も、亡くなった人に対して失礼な考え方だと思うんです。でも、いまだにこの風習を“常識”として行っている地域もあります。

火葬場は「公平な場所であってほしい」

――地域特有の風習とかは、他にもありそうですね。

下駄 地域によって火葬の常識は全然違いますね。例えば、地域によっては火葬場内で故人のお顔を見れないことが多々あります。一方で、火葬前にお顔を見てお別れできる地域もある。「同じ日本なのに、この地域差いる?」って思います。

 閉じられた世界だから、職員も遺族もみんな「自分の地域の火葬が普通だ」と思って、昔からの風習を引きずったままなんです。これって、誰のためにもならないですよね。

 

 先ほど、「火葬場は大事なインフラの1つ」と言ったじゃないですか。水道とか、道路とかと同じくらい大事なインフラであるはずなのに、地域差があるのはおかしいですよね。だから僕は火葬場が良くなってほしいというよりも、「公平であってほしい」と思っています。