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 中央改札のまっすぐ先には、地上の櫛形ホームが控えているのだ。かつては13番線から20番線まであるような広大な地上ホームで、北国を目指す夜行列車がここから発車していた。年末やお盆の帰省シーズンには、上野駅を取り囲むように列車待ちの人たちのためのテント村ができたという。

 いまでもそのホームには石川啄木の詠んだ「ふるさとの 訛なつかし 停車場の 人ごみの中に そを 聴きにゆく」の碑が建つ。啄木の時代は集団就職よりもずっと前だが、上野駅は開業以来、東北から東京に出てきた人にとってふるさとへの入口だったのだ。

 

 だから上野駅は特別な駅だった。パンダがやってきたのは別にしても、キオスクも赤帽も上野駅からはじまった。上野駅のキオスクは日本一の売り上げを誇っていたというから、とにかく上野駅は特別な存在だったのだ。

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“北の玄関口”のその後

 しかし、そんな時代はとうの昔に過ぎ去った。2015年に上野東京ラインが開業すると、上野駅を始発とする列車は普通列車を含めてほとんどなくなった。そして同時に、最後の“上野発の夜行列車”「北斗星」も消滅。そうなれば、上野駅の“北の玄関口”としての役割はほとんど失われたといっていい。

 鉄道のきっぷには、“入場券”というものがある。文字通り、駅の構内、改札の中に入るためのもので、列車に乗ることはできない。いまでは駅の構内にある店を利用するくらいしか入場券を使う理由はないだろう。

 でも、もうひとつ大きな目的がある。撮り鉄が写真を撮るため……ではなくて、旅人を見送るためだ。ホームで旅立つ人を見送る。そのために、入場券は役に立つ。

 

 上野駅は、かつてそんな見送りの人で賑わったことだろう。しかし、いま上野駅のホームを歩いていても、そんな人はほとんど見られない。

 だいたい、ホームまで見送りをするような文化がなくなってしまったのかもしれない。が、やはり上野駅が特別な駅から、ごく普通の駅になってしまったということがいちばんなのではないかと思う。上野駅のお客は1988年をピークに減少していて、2020年度の1日平均乗車人員は高田馬場駅や立川駅にも負けている。JR東日本全体で14位の11万4064人である。

写真=鼠入昌史

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