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「誰とやっても勝てないよ…」全国大会出場直前、スランプに陥った伊藤匠少年に父親がかけた言葉とは

「誰とやっても勝てないよ…」全国大会出場直前、スランプに陥った伊藤匠少年に父親がかけた言葉とは

伝説の「親将ブログ」 倉敷王将戦編 #1

2022/05/02
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「7連敗した……」直前のスランプに落ち込みつつ倉敷入り

 東京都代表に決まった時、匠少年は東京将棋会館道場で二段。「倉敷の前に三段になる」と自ら目標を立てた。ホームは師匠となる宮田利男八段が主宰する三軒茶屋将棋倶楽部だけど、そのお休みの日など東京将棋会館にも月に数回通っていた。

 目標のためには、毎日の勉強が必要なこともちゃんと理解していた小2の匠少年は、雅浩さんに「夏休み将棋チャレンジ」という冊子を作ってくれるように頼んだ。詰将棋、必至問題などの本を5冊約1000題、棋譜並べ200局分をやった分だけ印をつけていくチェックシートだ。小1の夏に雅浩さんが作ったのを覚えていたのだ。

 毎日取り組んでチェックシートは埋まっていったものの、東京将棋会館道場では3回負け越しが続く。倉敷に出発する2日前にも1人で東京将棋会館道場に行った。

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「どうだった?」と聞くと、「7連敗した……」と落ち込んでる様子。

 結局、4.5勝10敗で、二段昇段後最悪の結果(通算66勝64敗)。後半は7連敗(認定中の相手を含めると8連敗)。しかも、7つの負けうち、4つは初段相手だというのだから、スランプといってもよいだろう。千駄ヶ谷で7連敗はおそらく初めて。

「誰とやっても勝てないよ。」

 とボヤくので、「今のうちにたくさん負けとけば、本番(倉敷王将戦全国大会)では勝てるようになるかもよ。逆に、今、たくさん勝ちすぎると本番負けるからね」などと根拠のない慰めでお茶を濁す。

(2010年8月4日)

 我が子を優勝させたいと必死になる親ならばここで焦るところだが、雅浩さんのブログにはそんな様子は見られない。そして前日に倉敷入りすると、

 美観地区でランチを食べて、ウロウロした後、大山名人記念館へ。そもそも、倉敷という地名を冠したタイトル戦が行われたり、全国大会が開催されるのも、大山康晴15世名人の出身地であることに由来する。当日の会場である倉敷芸文館の隣にあるこの大山名人記念館では、無料で将棋を指せるスペースがあり(最大で16面くらいか)、午後になると全国から前日入りしたチビッコ選手たちが集まってくる。

(中略)

 さっそく(長男は)対局の輪に加わる。途中で、館長の有吉(道夫)九段がふらりと現れて、おもむろに囲碁を始められていた。私は、知った顔のお父さん、お母さんをお誘いして喫茶店へと行ったが、あまりに暑くて昼からビール。夕方迎えに行ったころには立錐の余地もないくらい、たくさんの子どもたちが指していた。長男を探し出して、聞いてみると10局ほど指してちょっと勝ち越ししたという感じらしい。

(中略)

 私の感覚ならば、ふつう、全国から強豪が集まっているので、「どこから来たの?」「何年生?」「名前は?」「何段?」などと聞きたくなるところだが、小学校低学年男子の基準では、「別にそんなこと聞かない」ということらしい。したがって、自分が対局した相手が、高学年なのか、低学年なのかもわからなかったらしい(明日の大会は、高学年と低学年で別々に行われる)。

 ひとしきり対局を終えた後は、東京都低学年代表二人、神奈川県低学年代表二人、千葉県低学年代表、さいたま県低学年代表各一人の合計6家族でプチ前夜祭(食事と親はお酒)を実施。

(2010年8月6日)

 と親同士の交流を楽しんでいた。翌日の大会では雅浩さんは会場にノートパソコンを持ち込み9回もブログを更新。我が子に限らず大会の途中経過を次々にアップしていった。