黒田尭之五段と山根ことみ女流二段が育ったこの道場には、名指導者として知られる児島有一郎さんがいて、全国区の活躍をする子どもが多数通っていた。山根女流二段は当時、中学1年生。倉敷王将戦の数日前に山形県天童市で行われた全国中学生選抜将棋選手権大会の女子の部で優勝して松山に戻ったばかり。センターには山根さんの優勝を報道した地元紙が置いてあった。
「児島先生は匠が倉敷で準優勝した後に松山に来たことを聞くと、電話をかけて強い子たちを呼んでくれたのです。山根さんも将棋センターにやって来て、匠と指してくれました。2人とも多分覚えていないと思いますが」(雅浩さん)
長男は、短い時間ではあったが、全国大会レベルの子と代わる代わる対局させてもらうという貴重な時間を過ごすことができた(まもなく行われる文科杯全国大会に残っている西日本代表チームの3人のうち、2人まで指すことができた)。
「倉敷に出た後、道後に温泉に入り来たのに将棋指しに来るとは、相当将棋が好きだなあ」とも言われた。確かに、私も行きたかった観光コースの一部を諦めた。
道場には、将棋のルールを覚えたての子から、上述のような全国レベルの子も混じっている。先生は冗談を飛ばしながら(この点は宮田先生との共通点か)、子どもたちを上手に指導している。
(中略)
将棋の普及や、棋力の向上には、熱心な指導者が一人いるだけで、全然違うということを感じた日だった。松山に来ることはなかなか難しいけれど、長男は、「ひとりで飛行機に乗れるようになったら、また来たい」といっていたくらいだった。
(2010年8月9日)
「親は勝敗に熱くなってはいけないと思っていて…」
小2での全国準優勝。次は優勝と期待されるところだが、そうはいかなかった。東京には強い子がたくさんいて、代表になるのは簡単ではない。匠少年に勝って何度も東京都代表になった同じ学年の子も強くて有名だった。現在奨励会有段者だ。
「匠はこの後、小5で奨励会に入るまで、倉敷王将戦でも小学生名人戦でも全国の切符を手にすることはできませんでした。他にも結果が良くなかった大会はたくさんあります。そんな時でも、匠はあまり泣くようなことはなく、あっさりしていました。
親は勝敗に熱くなってはいけないと思っていて、平静を装うというか、負けてガッカリしても顔に出さないように心がけていました。次は優勝しろとかお尻を叩くようなことも言っていません。ただ『また倉敷に行きたいな』とは言ったことがあるかも。親もとても楽しかったので」(雅浩さん)
(後編に続く)
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