小学生名人戦と並んで将棋キッズたちの“目標”になる全国小学生倉敷王将戦。毎年8月に開催される、小学生にとってのメジャー大会だ。
山本博志四段と伊藤匠五段も、倉敷王将戦全国大会に東京都代表として参加した経験がある。親は我が子の応援をしつつ、倉敷への旅を楽しんだ。山本四段の父「ひろパパさん」にその思い出を語ってもらった。
ルール変更でライバルと共に代表選出
山本四段が倉敷王将戦全国大会に出場したのは、伊藤五段の3年前、小5の時だ(山本四段が6学年上)。
この年、倉敷王将戦では人口の多い都道府県の代表枠を低学年、高学年とも2人にするという大きな変更があった。「ひろパパ」というハンドルネームでブログ「父と子の素人将棋日記」を書いていた山本四段の父は、息子のことだけでなく、将棋キッズとその親に役立つ情報を集めて発信していた。「調べるのが大好き」だと言う。この代表枠が増えるという親将的大ニュースもいち早くキャッチして、ブログに書いている。
同じ東京には1学年下に増田康宏くん(現六段)という強敵がいて、山本四段は何度も苦杯を喫していた。この年の東京都予選では、山本四段は増田六段とは別のブロックに入り、それぞれのブロックで優勝した増田、山本は二人とも高学年の部の東京都代表になることができた。最後に行われた決勝では、博志少年が増田少年を破り、念願の優勝を果たしている。この日の我が子の様子を、ひろパパさんは、〈調子が良いときは食欲がなくなるほど集中力が増す感じなのですが、今日がまさにそんな感じでした〉(2007年6月24日)と書いている。
当時は親系ブログ同士リンクを貼り、お互いにコメントをつける文化があった。山本四段は「ひろ君」と呼ばれ、「ひろ君おめでとう!」のコメントがたくさんついた。情報交換も盛んで、前年に倉敷に行っていた親ブログ仲間からは「倉敷でかかったお金について書きました」なんてコメントも。代表となった子ども本人の交通費や宿泊費は支給されるが、家族の分まで出るわけではない。山本家は家族4人で倉敷に行くことにしたうえ、大阪に住む母方の祖父まで応援に来ることになった。