通報をしたネットカフェ店員の洞察力
――このネットカフェ取材の箇所はノンフィクションの醍醐味のように思いますが、その面白さがかえってネットメディアだと扱いにくいだろうなと思いました。野宮の入会申込書の文字や服装に目を向ける部分だけがネット記事になると「その情報、いる?」という意見が出たり。
高橋 私もそれを思いました。SNSなどでは「こんな話を載せる意義がどこにあるんだ」とか「面白がっている」とか、ほんとうにいろいろな批判の声が出てきます。これは文脈の有無、あるいはそれを読み取るリテラシーの有無なんだと思います。
この事件でいえば、逃亡犯を警察はいつまで経っても捕まえられなくて、犯人は犯人で幸運にも逃げ続けるのだけれども、ネットカフェからの通報で逮捕につながっていく。こういう文脈のなかに、店員の職業的な洞察力のエピソードがある。ところがそこだけを切り取って記事として出すと、「ふざけている」とか言われるだろうなと思ったりします。
文脈がなくなるとそうした声が出やすくなりますし、極力文脈を残しても読み違えられたりすることもあるので、ウェブメディアの記事はほんとうに難しい。だから無料で誰もが読めるウェブメディアで執筆するときは、「これを書くと、批判する人が出てくる」とか「こう書くと、変な文脈に取られそう」と思うところはなるべく削るようになりました。
けれども書籍は違います。『逃げるが勝ち』は、最初から読んでくれる人たちに向けて、自分が面白いと思うエピソードを残しながら書きました。
本書では、家族の話や生い立ちは書かなかった
――『逃げるが勝ち』と従来の犯罪ルポとの違いに、犯人がどんな家庭で育ったのかなどは書かれていないことがあります。たいていの犯罪ルポに書かれる出生地も、この本には書かれていない。だからといって「書いてないじゃないか!」と批判する人はいないと思います。
それはよかったです(笑)。犯罪ルポを書くのに、犯人の家系を三代先まで遡る……みたいなのが主流だった時代もありましたよね。家族の取材はマストで、どうしてこうなってしまったのかを、生い立ちから明らかにしていこうとする手法です。でも読者としては、犯罪者の祖父が孫について語りだしたりすると、「さすがにこの事件で、おじいちゃんの話までは、聞かなくてもよくない?」と思うときもある。