未来は、かつて愛した男がイタリアで90歳になっており、そのもとに、男が愛した女の孫として会いに行くのだという。未来はここで「再び別の姿で現れた深町」であり、同時に「(永遠の命に宿命付けられた)“喪失”を自分のものとして生きることを決めた和子」である。そして未来は、主人公のどれみに、自分と一緒にイタリアに来るか、と誘う。
それは、魔女見習いであるどれみにとって、人間の時間を生きるか、魔女の時間を生きるかという、モラトリアムの終わりを意識せざるを得ない問いかけだった。
谷口版の和子が選んだ「第3の道」
細田版の和子が“喪失”に殉じたのに対し、谷口版の和子は「第3の道」を歩んだ。こちらの和子は安田成美が演じている。
谷口版の主人公あかり(演じるのは細田版で真琴だった仲里依紗)は、芳山和子の娘という設定。
2010年の時点で和子は、薬学の研究者になっており、吾朗とは今も友達付き合いをしている。あかりの父親とはもう一緒に暮らしてはいないが、たまに連絡をとるぐらいの関係はあるという。どちらかというと細田版に出てきた「どっちとも付き合わないうちに卒業して、いつか全然別の人と付き合うんだろうなって」という台詞を思い起こさせるような展開だ。
しかし、彼女の中にはやはり深町の記憶が眠っている。吾朗が洋館に住む老いた深町夫妻からもらった和子の写真。そこには正体がわからない青年=深町の姿が写っており、それを見た和子の中に「土曜日の実験室」の記憶がフラッシュバックする。
写真を見た直後、交通事故で入院した和子は、付き添うあかりに、1972年4月の中学校の実験室に行って深町に会い「約束、消えてない」と伝えてほしいと言付ける。和子は仕事の合間に、独自でタイムリープができる薬の研究をしていたのだ。
こうしてあかりは1972年にタイムリープすることになるが、勘違いで到着したのは1974年だった。そこで彼女は溝呂木涼太という若者と出会い、彼の自主映画の撮影を手伝いながら、1974年で深町を探し始める。
回想で挟まれる、中学時代(ここは原作に近い)の土曜日の実験室の映像は、大林版を想起させる仕上がり。若き深町を演じた加藤康起も、大林版の高柳良一を彷彿とさせ、中学時代の和子と深町の別れのやりとりも、大林版をかなり踏襲している。
本作の和子が体現するのは「初恋は消えない」と「人生は続く」という2つの人生観の両立だ。だから1974年の物語の中で、和子とあかりの父になる人物との出会いも描かれる。そしてあかりの物語もまた「恋は消えない」と「人生は続く」というところに落着する。
ラストであかりは、自主映画のラストで自分が歩いた桜並木を、改めて真っ直ぐ進んでいく。その並木道は、これからあかりが歩んでいく人生そのものだ。
3つの『時かけ』を照らし合わせ、芳山和子の人生がいかに描かれたかを浮かび上がらせると、そこから様々な「人生の真実」が浮かび上がってくる。そしてまるで芳山和子がかつて自分のクラスメイトだったような、そんな気分にさえなるのである。