かくして、80年代のバブルの中で瞬く間に清里駅前は“原宿化”していった。古き民宿からペンションへと置き換わっていく流れについて、「エコノミスト」1987年6月9日号で清里事情に詳しい人の次のようなコメントが載っている。
「民宿・ペンション戦争といってももうほとんどカタがついたのではないかと思います。ペンションが勝ったんです。民宿の経営者はほとんどが土地っ子で、泊めてやる意識が強すぎる。これじゃ敬遠されますよ。それに対し、ペンション経営者は脱サラのニューカマーがほとんどで、それだけに家族的サービスでお客を大事にする」
実際にはほどなくバブルがはじけてペンションブームも清里のメルヘンワールドも過去のものになっていくのだが、とにかく日本中が熱に浮かされていた時代の物語。清里のぬいぐるみは飛ぶように売れて、1日に600万円も売り上げた店もあったとか。
結局、1990年代に入るとペンションもタレントショップもメルヘンもブームは去って、清里どころか日本中が冬の時代を過ごすことになる。そうして30年経ったいま、清里に残っているのがメルヘン廃墟というわけだ。たまたま手がつけられずに残っているだけで、日本中どこにだって似たような話はあっただろう。
「清里」の30年からみえるもの
ただ、清里には大きな強みがあった。東京からの交通の便に恵まれた高原リゾート地という原点である。それを活かして、いまでは本来の自然の中のリゾート地に回帰して集客に努めている。どれだけの人が来ているかはわからないが、萌木の村の賑わいぶりを見るにつけ、ある程度は結果を出しているようだ。駅前のメルヘン廃墟だけを見て清里という町を判断しては、まったく誤ることになるのである。
清里どころか全国総原宿化から30年以上が経って、いまになればおかしいことがよくわかる。わざわざリゾート地にでかけて東京でも買えるようなタレントグッズやぬいぐるみを買うなんてバカげている。ご当地ならではのものを求める方が、よほど理にかなっているような気がする。
しかし、あんがいそうとも言い切れない。修学旅行先の土産物店が全国共通のラインナップなのはいまもそうだし、バカげたことを楽しんでできるというのは実に贅沢なことだ。
「せっかく来たのだから名物を」などと思わないでもへっちゃらな余裕があることの裏返し。だからもしかすると、清里の町のメルヘン廃墟は、実態はともかく人々の心が余裕に満ちていたバブル時代の象徴なのかもしれない。やっぱりせっかくの高原リゾート、心に余裕も必要……なんですね。
写真=鼠入昌史
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