1ページ目から読む
2/3ページ目

聖子の歌にピンと来た平尾さんの言葉

 すると案の定すぐに「あの子は見込みがあるね」とお褒めの言葉を頂くことになる。「まだ荒削りだが声が伸びやかだよ。特に歌を自分のものにする力は比類がない。若松さん、すごい子を見つけましたね」

 やはり平尾さんほどのヒットメーカーには、ピンと来るものがあるらしい。しかもコニー・フランシスなどオールディーズを課題に出しても、聖子は熱心に勉強してきて瞬く間に自分のものにしてしまうという。平尾さんはそれまでも常にアイデアにあふれる方で、新しい企画を思いつくとよくCBS・ソニーに遊びに来てくださっていた。平尾さんのヴォーカルスクール出身である原田潤のシングルも、そんな雑談の中から飛び出した企画だったのだ。その平尾さんが聖子を推している。

 そういえば平尾さんは小柳ルミ子や天地真理、伊東ゆかり、アン・ルイスにもヒット曲を提供し、渡辺プロダクションとも縁が深い方。もしかしたら聖子とナベプロは相性がいいのかもしれない。

ADVERTISEMENT

 平尾さんの言葉に自信を得た私は、すぐさま同じく福岡にあった「渡辺プロダクション東京音楽学院福岡校」のスタッフに、聖子の資料を送っている。先々を考えると、聖子が気軽に顔を見せに行ける地元福岡からアプローチしたほうが優位性があると考えたからだ。するとその方も、ぜひ東京のナベプロ本部に資料を送ってみたいと言うではないか。さっそく渡辺プロダクション本社に連絡を取ってもらうことにした。トップ4とも言うべき幹部スタッフに相談してくれるという。

 しかし、ここでも色よい回答はもらえていない。

「若松さん申し訳ない。本社がいい返事をしないんだよ。ああいう子は売れないって言うんだ。地味だって言ってね」

「歌は? 歌は聴いてもらえたんですか?」

 しかしそれ以上はどうすることもできず、渡辺プロダクション幹部からの言葉とあっては、引き下がるしかなかった。聖子の魅力は歌声にあるのに、平尾さんの推薦がありつつも思いが通じないことに苛立ちながら、私はさらに次のプロダクションを探しはじめる。しかし原石を見極めてこその芸能事務所であろう。どうしてみんなわかってくれないのだろうか。

歌謡界の中心に山口百恵

 ここで少し当時の芸能シーンを思い起こしてみたい。

 あの頃アイドル歌手として歌謡界の中心にいたのは、間違いなく山口百恵だった。深みと翳りのある日本的で湿度のある歌声とルックスは、70年代の人々の心をがっちりと掴み、百恵さんは間違いなくCBS・ソニーの宝、いや日本の宝だった。歌やドラマ、映画でも活躍。前年の1978年春に『プレイバック Part2』が大ヒットし、何度目かのブレイクも迎えていた。

山口百恵 ©文藝春秋

 同じく1978年春には、CBS・ソニー所属のキャンディーズが人気絶頂のまま解散していた。私もプロデューサーとしての初仕事でキャンディーズのプロジェクトに参画していたが、彼女たちは4年半の活動期間中に、吉田拓郎の楽曲を歌うなど音楽的な試みも多数残しバラエティ番組でも活躍。歌って踊ってお笑いもこなすアイドルの礎を築いていた。