羽生の成長とオーサーの戦略がかみ合ったのが、ソチ五輪だった。羽生は、世界選手権3連覇中の絶対王者だったパトリック・チャンを追いかける立場。羽生とオーサーはチャンよりも基礎点の高いプログラムを作り、演技の成熟度を評価する演技構成点で優位にあったチャンに競り勝った。
19歳の若さで世界王者になった羽生。もともとストイックだった彼は、さらに理想のスケートを追い求めるようになった。
「彼は究極の負けず嫌い。単なる王者ではなく、『絶対王者』として君臨したいと公言するようになりました」(同前)
小学2年生から羽生を指導してきた都築章一郎氏が明かす。
「厳しい指導をしても泣き言や弱音は言いませんでしたし、自分が納得することについては徹底的に、前向きにトレーニングしていました。その代わり、ミスをしたりして自分なりに気に食わないときにはそっぽを向いていましたね。自分に対する怒り、ですね。そういうところはハッキリしている子でした」
頑固なほどの理想主義者である羽生が、戦略家オーサーのコントロールを超えることも増えた。
羽生はソチ五輪の翌シーズンも休養を取ることなくグランプリシリーズに参戦。中国杯ではフリー直前の6分間練習で中国選手と衝突したが、頭部に包帯とテーピングを巻いて出場。3週間後のNHK杯にも強行出場し、日本人3選手で最下位の4位と惨敗している。
「彼がこうと決めたら止められません」
NHK杯の直後、オーサーは小誌のインタビューでこう洩らした。
――金メダリストがあの状態で試合に出るべきではなかったのではないか?
「うーん、わからない」
――オーサーコーチにも羽生は止められない?
「彼がこうと決めたら止められません。経験から彼は学び、良いスケーターになっていくでしょう」
昨季は新たにプログラムに入れた4回転ループをめぐって2人は衝突している。
「16年のグランプリシリーズのスケートカナダで2位に終わり、オーサーは『勝てなかったのは演技構成点のせいだ』と取材陣に語っていました。4回転ループに気を取られて、他の演技が雑になっているという指摘です。オーサーは羽生と話し合いを持ったが、羽生も『ループも演技の一部だからしっかりやりたい』と引かなかった。しかしその話し合いによって、羽生のスケーティングへの意識が高まった。その後のNHK杯で優勝すると、羽生は、『ブライアンとの関係が垣根のないものになりました』と語っていました。オーサーは羽生に対して、強く引っ張っていくのではなく、見守るスタンスを取っていましたが、羽生はもっと強く関わってほしいと思っていたのかもしれません」(前出・フィギュア担当記者)