1992年からストリップの撮影を始め、これまでに500人以上の踊り子を被写体にしてきた写真家・谷口雅彦さん。ステージはもちろん、楽屋などの舞台裏にも出入りし、ときには踊り子たちと食事をともにして、素顔の彼女たちと向き合ってきた。

 悲喜こもごも、十人十色の踊り子の人生をもっとも見てきたといっても過言ではない谷口さんが、30年間で印象に残っているエピソードを振り返った。(全2回の2回目。#1から読む)

©️文藝春秋

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ストリップ劇場は撮影厳禁だが…?

 アマチュア写真家だった高校生のころから、アスリートや舞踏家など「躍動する肉体」の写真に興味があったという谷口さん。専門学校を卒業後、写真スタジオで働くかたわら、身体の撮影で著名な写真家に師事し、ストリップを撮りたいと思うようになったという。だが、つても何もなく劇場の前で呼び込みをしている男性スタッフに「撮らせてほしい」と頼んでも、あっさり門前払い。劇場に手紙を送っても返事は来なかった。

 それもそのはず、ストリップ劇場は撮影が厳禁。現在も劇場内でスマホを取り出そうものなら、たちまち注意される世界なのだ。当時は踊り子も、メディアに出るのは限られた一部の人だけ。ほかの人は基本的に劇場以外での露出を好まなかった。だが、諦めきれない谷口さんが、周囲に呼びかけ続けたところ、チャンスがやってきた。

「『なんとか踊り子さんとストリップ劇場を撮影したい』『関係者がいたら紹介してほしい』と友人たちに頼み続けたんです。そうしたらテレビのADをしていた友人が、たまたま踊り子が出演する番組を担当していて、高樹麗さんという踊り子に話してくれたんです。高樹さんもちょうど『踊り子としての姿を写真に撮ってほしい』と考えていたそうで、ステージの撮影を許してもらえました」

谷口さんがストリップを撮るきっかけとなった高樹麗さん ©️谷口雅彦

 ステージ上では、小柄な体が大きく見えるほど堂々たるショーを披露してくれた高樹さん。たちまち魅了された谷口さんが「1年間、密着して撮影させてほしい」と申し出たところ、高樹さんは快諾。それから日本全国で行われるショーに可能な限り同行し、撮影し続けた。そして一年後、撮りためた高樹さんの写真の展覧会を開いたところ、メディアや踊り子さんたちがたくさん訪れ、そこで谷口さんの運命が変わったという。

「踊り子さんたちから『自分も撮ってほしい』と言われたんです。同時にいろいろな雑誌の人から、『ストリップの写真や文章をうちで連載してほしい』とも声がかかって。そこから25年以上、ストリップ関連の連載を続けていきました」