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『何もわからない子供』を演じるのではなく

「いまはこれがおかしいことだとわかります。でも当時はまだ幼かったから、京都が世界の中心で、ここで嫌われたら私は生きていけないんだと思い込んでいました。だからここが嫌ならもう死ぬしかないと、自殺を考えたことは一度や二度じゃありません。

 舞妓を辞めた直後は、自分の思っていることを話そうとすると頭が真っ白になっていました。それが、学費を稼ぐために北新地や銀座で働くうちに、だんだんと自分の意見を言えるようになってきました。“何もわからない子ども”を演じるのではなく、お客様と心と心のお付き合いをする中で自信が取り戻せていたのだと思います」

 ちなみに、「女性セブン」(2022年7月21日号)で取り沙汰された歌舞伎役者と出会ったのも、銀座で働いていた頃なのだという。

「舞妓時代は歌舞伎役者の方がいるお座敷に出たことは3回くらいしかないので、何もありません。銀座で出会った方とも週刊誌に書かれたような深い仲ではなく、純粋にお友達でした。

 お客様とお友達になれたことも、花街の外には『拒否権があった』からだと思います。“何もわからない子ども”を演じるのではなく、お客様と心と心のお付き合いをする中で自信が取り戻せたんです」

「相談に乗ってくれる大人がいたら、と今でも思います」

 桐貴さんは「舞妓が安全に働ける環境を整えることが、伝統文化を守っていくことにつながるはず」と話す。

「せめてあの時、相談に乗ってくれる大人がいたら、と今でも思います。舞妓も一人の人間です。飲酒やセクハラといった嫌なことについて、きちんと話し合って対応してもらえていたら……。いまは、私の告発がきっかけで花街の体質が少しでも変わってほしい。そう強く願っています」

 桐貴さんが在籍していた置屋に事実関係を尋ねようとしたが、「取材はお受けしていません」とのことだった。

 桐貴さんの一連の告発の内容について、舞妓の募集などを手掛ける「公益財団法人京都伝統伎芸振興財団」はどう捉えているか。見解を尋ねる質問状を送ったところ、個別の事実確認については、《市駒さんと思われる「Kiyoha@物書き」さんのツイッターへの投稿は事実と異なると聞いております。なお、記載の証言については、情報不足により回答を控えます》。そのうえで、こう回答した。

《芸妓や舞妓の人権が守られ、適切な環境下で活動できることが一番大事なことです。改めて法令遵守を徹底し、芸妓や舞妓にとって活動しやすい環境づくりに関係者一同取り組んでまいります》

 桐貴さんのもとには今も、元舞妓から自身の体験を綴ったメッセージが届いている。彼女たちの声は、花街に届いているのだろうか。

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