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「演説する時も用心棒をつけたね。もう、要するに戦争だから」“右翼の黒幕”が見せた“共産党潰し”のためにとった凄味あふれる行動とは

『田中清玄 二十世紀を駆け抜けた快男児』より #2

2022/08/28

source : ノンフィクション出版

genre : ニュース, 歴史, 読書, 社会, 昭和史

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「一度、田中がどっかで講演しておったら、会場の隅の方から、野次が飛んだ時があった。『田中清玄! そんなこと言っても、革命が起きたら、お前は真っ先に銃殺だ!』。そしたら、うちの田中が激怒してね。『じゃ、今すぐここで、俺と勝負しろ』って、演壇から降りて、殴りかかろうとするんだ。慌てて止めたけど、相手もビビッて逃げてっちゃった。あの頃は、演説する時も用心棒をつけたね。もう、要するに戦争だから」

 こうなると、もはや映画か小説の一場面である。

レッドパージの前哨戦

 そして、この若松の総決起大会の様子は、GHQの特別調査局に詳細な報告が送られた。

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 今から考えると、当然である。この日の大会は、日発からの共産党員の強制排除、「レッドパージ」の前哨戦だったのだ。

 8月26日、電気事業経営者会議は電産に対して、全国で2137名を指名解雇すると通告した。電気事業の公共性から不適格と見た者で、円滑な事業運営に非協力的との理由だ。これだけの人員を一気に首切りするのは異例で、共産党排除が狙いなのは明白だった。

 日発の会津支社でも125名の解雇が発表され、一部は団体交渉を要求した。だが、太田によると、猪苗代の空気は概ね平穏だったらしい。

「うちの発電所でも、28名ばかり指名解雇したんです。全員を集めてから。普通なら連中も大暴れするが、こっちも周りを固めたからね。支店長にも、空手のボディーガードをつけてた」

 三幸建設の事務主任としてやって来て、すでに1年以上が過ぎた。

 その間、太田たちの切り崩しで、猪苗代の電産から民同派への大量離脱が起きた。その上、周りを見回すと、目つきの鋭い、お世辞にも柄がいいと言えない男らが睨んでいる。かつて甲高い声で役員を𠮟責した党員も、うなだれるしかなかったのだろう。

 だが、彼らも、ただでは引き下がらなかった。