不可解な被告人質問を経て、裁判所は耕太への精神鑑定を行うことを決めた。鑑定を経て、翌2008年3月の公判では鑑定人である医師の尋問が行われたが、医師は耕太が公判や鑑定で“断片的な記憶しかない”と語ったことなどを根拠に「殺害時には責任能力が著しく衰えており、遺体切断時には本来の人格とは異なる獰猛な人格状態になっていた可能性が非常に高い。このとき心神喪失状態で責任能力は完全になかった」と結論づけてしまった。一審ではこの影響により、殺人については完全責任能力を認め有罪としたが、Aさんの遺体を切断した死体損壊については心神喪失状態だったと認定され、懲役17年の求刑に対して懲役7年の判決が言い渡された。
法廷で「覚えていない」を連発していた耕太の裁判はこれで終わらなかった。双方が控訴を申し立て、舞台は東京高裁へ。弁護側は殺人についても無罪を求め、検察側は、完全責任能力を求めた。
一審の被告人質問も不可解だったが、もっと不可解なことは、逮捕からの取り調べでは、耕太が事件について詳細に語っていたことだ。これを耕太と弁護人は“刑事に促されて推測で証言させられた”として、捜査機関によるストーリーであるかのように主張していた。だが控訴審では、逮捕時に耕太が事件について記した書面が証拠として採用された。そこに事件についての詳細が記されていたことから、判決では「自らの記憶に基づいて書面を作成したものと認められる」と認定された。そのうえ「一審公判での被告人の供述は信用することができない」と、懲役7年の一審判決が破棄され、あらためて懲役12年の判決が言い渡されたのだった。
つまり耕太が一審・東京地裁でしきりに「分からない」「覚えていない」と証言していたのは信じられない、と東京高裁が判断したことになる。耕太はこれを不服として最高裁に上告したが、棄却され、2009年に確定している。紆余曲折ありながらも、最終的に裁判では、殺人と死体損壊行為における完全責任能力が認められた。
家族が法廷で語ったこと
一審で耕太は、逮捕後に読んでいる本について弁護人から問われ、数冊の書名を挙げながら「脳に関する本を読んでいる」と語っていた。不可解な証言により精神鑑定の流れに持ち込むことが耕太の狙いだったのか。真意は分からないままだが、彼が法廷で事件の詳細を話すことはなかった。
また家族は法廷でAさんについて「気が強く、攻撃的で、人の意見を聞かない。頑固で、感謝の念が欠けている」(父親の証言)、「勝ち気で、ヒステリックで、誇大表現があった」(長兄の証言)などと述べたほか、母親に至っては、Aさんが中学生の頃からリストカットを行なっていたことに気づいていながら「娘を病気と思うのがいやで、心療内科は受診させなかった」と、向き合わず放置してきたとも語っている。いっぽう、耕太に対しては家族全員が「寛大な措置をお願いします」と訴えていた。被害者であるAさんを悪し様に言い、加害者である息子を庇う家族から、そして「覚えていない」を繰り返す耕太から、Aさんへの思いやりはうかがえなかった。