バットに当たらなかった理由
山下航汰も尊敬していた同期です。育成ドラフトでの入団でしたが、すぐに支配下登録されて1年目には2軍で首位打者をとってしまいました。山下は野球を愛しています。本当によく練習するし、打撃理論もくわしくてよく教えてもらっていました。
山下が早々に結果を残して嫉妬はなかったの? と聞かれることもあるのですが、まったくありませんでした。自分が結果を残せば上に行ける世界なので、自分のことをしっかりやるしかありません。だから山下が1軍に上がった時には、1軍の話をいろいろと教えてもらいました。
先輩方にもたくさんお世話になりました。今は外野守備・走塁コーチを務める亀井善行さんには食事に連れていっていただき、いろんな話をしていただきました。
「自分のなかで『これ』というものを見つけてほしいな」
亀井さんはそう言いました。僕が悩んでいる姿を見て、察していただけたのだろうと思います。「真面目に考えすぎて、自分で難しくしちゃうんじゃない?」とも言われました。
僕は2軍はおろか、3軍でもなかなか結果を残せずにいました。自分では「捉えた」と思っても、バットに当たらない。コーチ陣からはよく「前に飛ばせ」と言われていました。
亀井さんをはじめ、1軍の選手たちは考え方が違いました。たとえばファウルを打った時、僕は反射的に「くそ!」と悔しがってしまいますが、1軍の打者は「今の球をファウルにできるんだ」とポジティブに考えられる。そんな思考の持ち主が1軍に行けるんだろうなと感じます。
今にして思えば、僕はいつも何かに追い詰められたように野球をやっていました。選手時代の映像はあまり見たくないのですが、ヒットを打っても、打点がついてもニコリともしない。「なんでうれしそうにしとらんのかな?」と不思議でした。
僕が結果を出せなかった大きな原因は、ボール球に手を出していたことです。ストライクからボールになる変化球だけでなく、ボールからボールになる球まで振っていました。冷静な精神状態ではいられなかったのでしょうね。
今もあいつらが戦っているから
昨年の秋、高卒3年目にして育成契約ではなく「来年は契約しません」と言われたのは自分でも仕方がないと受け入れています。社会人野球や独立リーグからお声がけいただきましたが、自分のなかで「NPBに戻れる」という希望や自信が持てない以上、ユニホームを着るべきではないとお断りしました。
いろいろとネガティブなことも頭に浮かびました。すべては自分の実力不足。当時はプロ野球選手として思ってはいけないようなことも、頭をかすめました。
そんな本音をここで明かせれば読者の方に喜んでもらえるとは思うのですが、どうしても抵抗があるんです。
同期の仲間たちは、まだあの世界で戦っている。時に悩み、迷い、それでも歯を食いしばって前に進んでいくしかない。そんな厳しい世界で戦う彼らの強い思いを、僕の言葉で萎えさせたくない。クビになった今でも、「あんなヤツと一緒にプレーしていたのか」と思われたくない。今さらですが、そんな思いが浮かんでくるんです。
今も同期の仲間たちとは連絡を取り合います。僕が住む福岡では野球のテレビ中継といえばホークス戦ばかりですが、時には日テレジータスでファームの巨人戦を見ています。
もちろん、自分の学校生活のこと、将来のことも考えています。それでも、ユニホームを脱いだ今でも同期の彼らとつながっていたい、戦っていたいという思いがあるのだと思います。いつか10年、20年後、みんながユニホームを脱いだその頃、初めて当時は言えなかった弱音や本音を語り合える日がくるのかもしれません。
僕にとっては素晴らしく、貴重な体験ができた3年間でした。同期のあいつらからしたら「そんなしおらしいこと言ってんじゃねぇよ」と言われるかもしれません。でも、これは紛れもない本心なんです。
増田陸、直江大輔、横川凱、戸郷翔征、沼田翔平、黒田響生。それと今は三菱重工Eastでプレーする山下航汰。ジャイアンツアカデミーでコーチとして頑張っている平井快青。いつまでも尊敬する同期であり続けてください。
僕も僕の人生をしっかりと見つめ直し、生きていきます。
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