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で、「当事者にならないと分からないことってあるんだなあ。悔しいけれど、どんなに想像力を働かせても、当事者の思いに届かないことってあるんだなあ」と感じたのです。
「震災にあった人の気持ちも、ガンを宣告された人の気持ちも、子供を交通事故で亡くした人の気持ちも、許されない恋に落ちてしまった人の気持ちも、親を介護している人の気持ちも、どんなに想像力を働かせても分からない部分があるんだろうなあ」
この発見は驚きでしたが、けれど、ネガティブなことではないと感じました。
「当事者の苦しみは、自分の想像力の結果より、はるかに深い」
この発見によって、僕は謙虚になる自分を発見したのです。
「どんなに想像力を働かせても分からないことがあるんだ。当事者の気持ちに届かないんだ」
そう思えれば、「きっと、私が想像する以上につらいんだろうな。私が単純に想像するレベルじゃないんだろうな」と思えるのです。
「どんなに想像力を働かせても、当事者の実感にかなわない」ということは、つまりは「自分の想像力で他人の感情や状況を判断してはいけない。たいていの場合、当事者の苦しみは、自分の想像力の結果より、はるかに深い」ということを教えてくれるのです。
どんなことでも、一度、自分が当事者になると、その時の気持ちに自分で驚きます。そして、当事者になる前の自分は、分かっていたと思っていたけれど、分かっていなかったんだなと気付くことができるのです。
去年の11月、母親が脳梗塞で倒れました。
それまで「脳梗塞」という単語は、ドラマの中にしか出てこないものでした。
故郷で倒れ、飛行機に飛び乗り、病院にかけつければ、そこには、半身が麻痺し、意識がない母親がいました。