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悪女か聖女か? 黒島結菜の割り切れない魅力

 まず、WEBドラマ『SICK'S~内閣情報調査室特務事項専従係事件簿~』(18年)の一一十(にのまえいと)。

一一十(にのまえいと) 『SICK'S』TBS公式サイトより

時を止めたり巻き戻したりする能力を持っている。黒いセーラー服姿にボブヘア、手には黒いだるまを抱え、一見少女ながら大人をはなから相手にしていない超然としたところが印象的だった。一一十はもうひとり白いセーラー服バージョンもいて、悪女と聖女、微妙に表情が違っていて翻弄されたものである。

 もう一作は映画『十二人の死にたい子どもたち』(19年)のメイコ。自殺志願の少年少女が集まってきたなかのひとり、メイコは父親を尊敬していて3人も替わった母親のことは馬鹿にしている。

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メイコ 『十二人の死にたい子どもたち』公式サイトより

「すぐ見抜きますようちの父は」と無条件に父を讃えているのだが、父のほんとのことはわかっていない。その近視眼的な感覚で12人の少年少女のなかでずけずけと物事を言う。クレバーなところはあるけれど視野が狭いという役を、ひっつめた額全開の髪型、ジェンダーレスできちっとした制服のような服装も相まってみごとに表していた。

 おそらく『ちむどんどん』の暢子は、『アシガール』から『十二人の死にたい子どもたち』の頃に形成されたイメージや彼女の特性を生かそうとした役だったのではないだろうか。

 それより前に遡ると『あさイチ』で紹介されたデビュー当時「マッシュ」と呼ばれていた頃(12年)や、14年の『アオイホノオ』の敬礼ポーズでにこっと微笑む無邪気な役の頃は、ただただ明るいかわいい女の子という印象だった。しかし『アシガール』でポテンシャルを全力疾走することで目覚めさせ、『SICK'S』で人間誰もが抱える黒い部分を発掘し、そのとき、白いセーラー服バージョンのふたりで切り分けたものを、『十二人~』ではひとりの人物のなかに統合した。

 映画『明け方の若者たち』(21年)ではミステリアスなきれいなお姉さんふうの役を演じることで、人間の複雑さを漫画的な表現からやや大人の表現へと進化させてきた。

 正直『明け方の若者たち』や『ちむどんどん』のようにややクセのある作品や役はどれだけ彼女にとってメリットがあるのか読めない部分もあるにはある。しかし、もともと整った顔立ちで落ち着いて喜怒哀楽を出さない人なのであれば、何か突出したことをやらないと逆に埋もれてしまうところを、思い切り振り切っていくことで、俳優としての表現力をつけていっていると思えば、単純に明るく元気を売りにしてこなくてよかったように思う。

『ちむどんどん』NHK公式サイトより

 そして、黒島結菜が長年、育ててきた割り切れない感じは、沖縄を舞台にした『ちむどんどん』にふさわしかったのではないだろうか。沖縄はきれいな海があって明るく元気でさわやかなだけの観光地ではなく、その成り立ちは極めて複雑だ。

 いまは同じ日本でも、同じでは決してない歴史や文化やものの考え方があり、暢子とは、簡単に縮めることのできない距離感を表すかにも見える。南の島のヒロインを黒島結菜はその割り切れない魅力で懸命(賢明)に演じきったのだ。

 最後にひとつだけ。かつて『カーネーション』(11年)のヒロインが勇まし過ぎるという指摘が多くあったようだが、その後、尾野真千子は名優として活躍している。