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アーケードを南に進む

 多聞通を挟んで、言い換えれば新開地駅を挟んで新開地本通りのアーケード商店街が伸びているのでどちらに行ってもいいのだが、ひとまず南に向かって歩いてみよう。

 ……と思ったら、多聞通南側の新開地のアーケードはあっという間に途切れて空が見えるノンアーケードの商店街へ。人通りも多く、一般的な商店街というよりは“繁華街”というほうがふさわしいような雰囲気だ。

 

 で、どんな人がこの町を歩いているのかというと、まさしくよくイメージされる商店街とはまったく違う、ということだけは強く言っておきたい。具体的には、学生グループがはしゃいでいたり、家族連れが遊びや買い物に来たり、という姿はほとんどない。

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 かわりに目につくのはおじさんたち。気になりながら歩いて行くと、アーケードを抜けたすぐ先に、ボートピア神戸新開地がある。昔風の言い方をすれば、競艇の場外だ。場外舟券売り場だ。つまり新開地を闊歩するおじさんたちは、ボートレースをこよなく愛するおじさんたちだった、というわけだ。

 

まわりに“チェーン店”ではなく“個人店”が印象に残る理由

 さすがに舟券売り場だけで終わってはあまりにもアレなので、もう少し新開地の商店街を中心にうろうろと歩き回った。だいたいどこを歩いても、まったく過ぎるほどに庶民的な居酒屋や商店が並ぶ町並み。チェーン店もあるにはあるが、どちらかというと個人経営の、そしてちょっと歴史のありそうな小さな飲食店が多い印象だ。

 

 それは多聞通の北側に出ても変わらない。さらに北側のアーケードから東に逸れると、真っ昼間というのに淫靡なネオンが煌めく一角もある。いわゆる“福原”と呼ばれる風俗街。明治時代から吉原・島原と並ぶ“三ハラ”として名を馳せた、古くからの遊郭街だ。

 

 いまの姿になったのは、戦後の1957年に売春防止法が施行されてからのこと。東京の人にもわかりやすく伝えるならば、吉原の神戸版とでも理解して頂ければ結構であろう。

 つまり、ボートレースを愛するおじさんたちと彼らの受け皿になっているであろう庶民派の飲食店、そして少し脇に逸れれば風俗街という、新開地はそんな町なのだ。あまりひとつの町を悪いイメージをもって語るのはよろしくないとは思うが、子どもたちだけで遊びに行ってこいと気軽に言えるような町ではない。

 と、これで終わってしまうと本当にイメージが良くないので、もう少し新開地の町を掘り下げてみよう。