かくしてさびれた雰囲気、もっといえば“怖い・汚い・暗い”の3Kの町ともいわれるようになった新開地。このままでは終われないと、1980年代以降は復活に向けた動きも見られ、1995年の阪神・淡路大震災での被災を経てアーケードの一部撤去や新開地北端の湊川公園のリニューアルなどが行われ、ようやく活気を取り戻しつつある、そういう姿が、いまの新開地というわけだ。
「新開地」がもつ“神戸のもうひとつの顔”
たまさか新開地駅について一目散にボートレースの場外方面に向けて歩いたことで、あまり良いとはいえないイメージの新開地を見てしまったが、実際にはいかにも通が好みそうな小さな映画館やら飲食店やらも少なくない。周辺から一段高いという湊川現役時代の面影が残る湊川公園の直下にも、小さくも古びた映画館がある。
映画といえば、いまや座席指定で入れ替え制のシネコンがあたりまえ。ただ、子どもの頃を思い出せば、1日中だらだらと見続けてもとがめられない映画館も少なくなかった。新開地には、そうした古き良き映画の文化がいまも残る。
西の新開地に対する東の浅草には、もはや映画館はひとつもなくなった。それを思えば、新開地の雑多な雰囲気といくつかの小さく古い映画館は、衰退ではなく“踏ん張っている”と表現するほうが正しいのではないかと思う。
なんでも、新開地を指して“B面の神戸”と呼ぶ向きがあるという。A面が何を意味するのかはよくわからないが、ヨソ者の持つ神戸のイメージは港町、異国情緒、南京町といったところ。確かに新開地はそれとはまったく異なっている。だが、ただのさびれた古い歓楽街とは明らかに異質な、昭和の文化芸能の香りがいまも漂う街並みが、そこに残っているのである。
写真=鼠入昌史
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