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〈廃墟写真〉「なくなることなどあるはずがない」と誰もが考えていた…岩手県の山中に存在した“雲上の楽園”の悲しすぎる末路

〈廃墟写真〉「なくなることなどあるはずがない」と誰もが考えていた…岩手県の山中に存在した“雲上の楽園”の悲しすぎる末路

『空撮廃墟』より

2022/10/25

genre : ライフ, 社会, 歴史,

note

 そんな中、生き残りを模索する松尾鉱山にとどめを刺したのが、石油から抽出される「回収硫黄」である。

 元来、原油には不純物として硫黄が含まれており、かつては除去されずにそのまま燃料として使われてきた。そのため燃焼時に硫黄酸化物が発生し、これが四日市ぜんそくなどの深刻な公害を引き起こしたのだ。1967年、公害対策基本法によって硫黄酸化物の排出が禁止されると、石油精製時に不要成分である硫黄が除去されるようになった。これが回収硫黄である。

 当時は石炭から石油にエネルギーの主役が交代したエネルギー革命の時代で、発生する回収硫黄も膨大な量に上った。市場では、硫黄の需要量33万トンに対し、タダ同然の回収硫黄が突如として50万トンも供給される異常事態となり、松尾のみならず硫黄鉱山そのものが決定的な危機を迎えたのである。全日本金属鉱山労働組合連合は、この時代の硫黄鉱山を「黄色い墓穴を掘る状況」と言い表した。

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 1967年には、松尾鉱業は9億3000万円もの赤字を計上する。同年には893人が希望退職に応じ、かつて4500人いた従業員は、およそ1000人を残すのみとなった。労組は24時間ストや、婦人会による田中角栄通産大臣への陳情、最後には坑内での座り込みなど必死の抵抗を見せるも、1969年11月11日、老松会館に集まった全組合員が退職を受け入れ、ついに松尾鉱山は閉山した。

楽園の残滓、今も続く負の遺産

 現在の松尾鉱山は、緑ヶ丘アパート群の他、いくつかの小規模な住宅と、鉱山施設の基礎などの遺構を残すのみである。東北一のホールと謳われた老松会館があった場所には、現在、鉱山跡地から流れ出る鉱毒水を中和するための処理施設が建っている。松尾鉱山は華やかな繁栄を謳歌した一方で、創業期から鉱毒水による公害問題を抱え続けてきた鉱山でもあったのだ。毎分24トンの強酸性水は、今この瞬間も北上川の支流に流れ続けており、その処理のために、国や自治体が年間5億円の費用を投じている。この事業は、今後も半永久的に継続が必要とされる。楽園の強い光が覆い隠していた負の側面は、今もなお消えない現実として続いているのだ。

 

 かつて八幡平中腹の高地には、人の世の移り変わりとともに生まれ、それこそまさに雲の上にでも建っていたかのように呆気なく消えた「雲上の楽園」があった。頭上に雲を頂く岩手山だけが、当時と変わらぬ姿でその残滓を見下ろしている。

写真=Drone Japan

 

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空撮廃墟

空撮廃墟

小林マサヒロ

廣済堂出版

2022年10月20日 発売

〈廃墟写真〉「なくなることなどあるはずがない」と誰もが考えていた…岩手県の山中に存在した“雲上の楽園”の悲しすぎる末路

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