公開初日の話をさらに続けると、2019年7月は、ずっと雨が降り続き、梅雨がいつまで経っても明けない状態が続いていました。まさに『天気の子』の結末のような……。
公開初日、朝早くの回で、私は池袋のグランドシネマサンシャインという当時新しくできたばかりの映画館で本作を観ました。映画館に向かう道ではやはりずっと雨が降っていたのですが、観終わって12階の最上階にあるIMAXシアターを出て、ガラス張りの壁ごしに東京の景色を一望した時、陽の光が差し込んでいたのです。
オカルトと新海誠の相性
あとから天気図を見て思わず笑ってしまったのですが、東京だけがパッと晴れていた。でもそのことに、とても感動してしまいました。陽菜を雇ったのでは?と言いたくなるような気分になりました。もしくは新海誠自身がある種の晴れ男のようなかたちで、何かしら空気を操ったかのような、そんなオカルトチックなことを感じました。
この話というのは脱線のようで実はそうでもなくて、オカルトと新海誠は相当に相性が良いのです。「人新世」(編注:=アントロポセン。『天気の子』本編で帆高が入る大学のパンフレットに書かれていた言葉で、人類の活動が地球の環境に影響を与える時代の意味)についても、いまとは違って2019年の公開当時、もっと言えば『天気の子』の制作期間中にはほとんど話題になっていない言葉でした。
いち早くこのような言葉を採用しているのがまず面白いですし、予見的ともいえます。まるで世界がオカルト的な思考に染まっていくことに対して、何かを感じとっていたかのように思えます。
『天気の子』は、異常気象による水害の話でもあるので、海外ではこの作品がむしろ環境問題を真っ向から取り上げたものだとみなされているところもあります。
日本ではいまだに温暖化の話はあまり緊迫感ある問題として捉えられていないですが、一部の国・地域では真っ先に向き合わねばならない問題と考えられていたりもしますし、その点でも先進的かつ国際的であるといえるのかもしれません。
起業家の物語としての『天気の子』
さらにもうひとつ、本作を考えるための視点を提供したいと思います。『天気の子』は「起業家」、もっと言えば「成り上がり」の物語なのではないか?ということです。
新海誠やプロデューサーである川村元気は自力でキャリアを築いていった人です。
新海誠で言えば、ずっとアニメーション界の外にいて自主制作をしていた人間が、業界内での「修行」を経ずに一気にトップに上り詰めてしまった。川村元気も映画館の案内係をしていた平社員時代に出した社内募集の企画(『電車男』)がバズって、トッププロデューサーになっている。個人の才覚、アイデアで一気に上り詰めることが可能になっている時代のあり方を、『天気の子』は反映しているように思います。