輸入が伸び始めたのは、1960年代に入ってからだった。当時、「1965年の移民および国籍法」〔別名、ハート=セラー法〕が、1924年以来かなり厳重に制限されていた移民への門戸をふたたび開いた。これを機に、経済的に安全でないと感じていた米国人の心に、国境も安全ではないという新たな感情が加わった。
1960年には、人口1億8100万人のうち、外国生まれが970万人で、総人口の5.4%であったが、それが推移して、2013年には、人口3億1500万人のうち外国生まれが4130万人で、総人口の13.1%を占めるという状況になった。2009年頃には、不法移民──主にヒスパニックである──の数が1000万人と見積もられた。実際、オバマ大統領時代のアメリカは、哲学者カール・ポパーのいう「開かれた社会」として描ける社会であった。
1980年から1998年にかけての米国を振り返ると、第一に、いわゆる格差拡大のすさまじい勢いに目を奪われる。それでもこの間、世帯所得の中間値は、4万8500ドルから5万8000ドル(2015年時点のドル換算)へと上昇した。この上昇は、個人の給与額が上がった結果というよりも、世帯収入への女性たちの貢献の結果だった。当時、女性が大勢労働市場に参入し、共働き世帯の数を大きく増やしたのである。
1999年~2015年は、米国にとって、経済的自由主義の推進が絶頂に達するとともに、グローバリゼーションに起因する危機が始まった時期だった。2001年12月に中国が世界貿易機関(WTO)に加盟し、中国は、米国で中国製品に課せられる関税が再上昇するという脅威から解放された。たちまち現れた結果は、米国の産業危機の加速だった。国内の製造業はぶん殴られたも同然だったからである。
1965年から2000年まで、米国の第二次産業の被雇用者人口は、相対的には減少しつつも、絶対値では1800万人前後で横ばいに推移し続けた。ところが、2001年3月から2007年3月に到る期間には、その数値が18%下降した。
国際金融危機は本当に終わったのか?
格差拡大がまた始まった。1999年から2015年にかけて、米国の世帯所得の中間値は、2013年と2014年にわずかな上昇が見られたものの、5万8000ドルから5万6500ドルへと低下した。
この途中に金融恐慌があったわけだが、あの国際金融危機は本当に終結へと導かれたのかどうか、よく分からない。なにしろ、2009年に10%にまで上がった失業率が、2016年初めには5.5%にまで下がったのは事実だが、人口に占める被雇用者率は、危機の前には63%だったのに、60%を少し下回る水準で止まってしまっている。
2000年代初頭に米国の人びとが感じていたストレスの大きさを理解するためには、さまざまな経済的データや所得額の領域の外へ出なければならない。実際、「自由貿易をやめたら物価がもっと高い水準にとどまるので、消費者が商品を買えなくなってしまうのですよ」と、わずかな謝金で難なく教え諭してくれるノーベル経済学賞受賞者のたぐいは、いつだって見つけることができるのだ。しかし、消費者が買えるか、買えないかではなく、死んでしまうのだとしたら、果たしてどう考えるのか。
人口学者の判断は決定的である。アン・ケース〔米国の医療経済学者、1958年生まれ〕とアンガス・ディートン〔英米国籍の経済学者、2015年ノーベル賞受賞。1945年生まれ〕が2015年12月付のジャーナルに発表した共著論文が、1999年から2013年までに、45歳から54歳までの年齢の白人住民の死亡率が上昇していたことを明らかにした。このような死亡率上昇は、世界中の他の先進社会にも類例がない。