文春オンライン

「中国が脅威になることはない」知の巨人エマニュエル・トッドが語った「世界の正しい見方」

『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』 #1

source : 文春新書

genre : ニュース, 社会, 政治, 国際

note

「GDPで測られる『経済力』はもはやフィクションにすぎず、リアルな経済的実態を反映していないのです」――欧米を代表する「知の巨人」エマニュエル・トッド氏がGDPを「時代遅れの指標」と語る意味、そしてGDP2位の中国が「世界の脅威」になりえない理由とは?

 トッド氏の新刊『我々はどこから来て、今どこにいるのか? 上 アングロサクソンがなぜ覇権を握ったか』より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)

エマニュエル・トッド(歴史人口学者)

◆◆◆

ADVERTISEMENT

GDPでは現実は見えない

 GDPがもはや「時代遅れの指標」であることも指摘しなければなりません──といっても、人類学的アプローチを重視する私が「経済」を軽視しているわけではありません──。

 現下の戦争をGDPの観点から見てみましょう。ロシアによるウクライナ侵攻前夜の2021年、世界銀行のデータによれば、ロシアとベラルーシのGDPの合計は、米国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、イギリス、EU、ノルウェー、スイス、日本、韓国のGDPの合計のわずか3.3%にしか相当していません。一国単位で見れば、ロシアのGDPは韓国と同程度です。

 ではなぜ、これほど「小国の」ロシアが、GDPで見れば、ロシアを圧倒している西洋諸国全体を敵に回すことができているのでしょうか。これだけ経済制裁を受けているのに、なぜロシア経済は崩壊しないのでしょうか。

 答えは簡単です。GDPで測られる「経済力」はもはやフィクションにすぎず、リアルな経済的実態を反映していないのです。

「栄光の30年」と言われた第二次世界大戦後から1970年代までは、鉄鋼、自動車、冷蔵庫、テレビといった実物経済が中心で、「実際の生産力を測る指標」としてGDPは意味を持ち得ていましたが、産業構造が変容し、モノよりサービスの割合が高まるなかで、GDPは「現実を測る指標」としてのリアリティを失っていったのです。

 ここでは米国の医療を例にとりましょう。医療部門は、欧州諸国ではGDPの9~11%程度を占めているのに対し、米国は約2倍で、GDPの18%にも達しています。

 では、これだけ膨大な額が費やされている米国人の健康はどうなっているのでしょうか。米国の平均寿命は77.3歳で、ドイツの80.9歳、フランスの82.2歳、スウェーデンの82.4歳、日本の84.6歳にはるかに及んでいません。

 米国の医療費の半分以上は、医師の過大な収入と異常に高価な医薬品(世界の支出の半分)で占められています。米国の医療は、莫大なカネがかかっているのに実質的な成果を生んでいないのです。これが、GDPでは見えてこない米国の現実です。経済統計は噓をつきますが、人口統計は噓をつきません。

 ちなみにロシアの平均寿命はまだ71.3歳で他の先進国に遅れをとっていますが、医療の効率性を最もよく計測できるのは、1976年に私がソ連崩壊を予言した際に用いた乳幼児死亡率です。ロシアの乳幼児死亡率は2000年頃から大幅に改善し、いまやロシア(2020年時点で出生1000人当たり4.9人)の方が米国(5.4人)を下回っています。