文春オンライン

映像作家・大島新が明かす、秋元康が『情熱大陸』の取材で見せた“本当の顔”「秋元さんに良い印象を持っていなかったが…」

『ドキュメンタリーの舞台裏』より #2

2022/11/29

source : 文藝出版局

genre : エンタメ, テレビ・ラジオ, 社会

note

フジテレビ時代の先輩と7年ぶりに番組制作

 だからこそ、取材では被写体のつらい状況や、厳しい現実にもカメラを向けなければなりません。貧困、家庭内不和、仕事のトラブル、病、死……現実世界で生きている人にとって、そうした困難こそが普遍性を有することです。

 しかし、撮影をする側に立つと、番組の期待に応えるためには被写体の「不幸探し」をしなければならないような気持ちになります。もともとカメラの持つ暴力性に敏感だった私は、その部分が『ザ・ノンフィクション』の制作になかなか乗り気になれない点でした。

 それでも、2003年に7年ぶりに同番組を作る機会を得ました。当時のプロデューサーだったフジテレビの味谷和哉(みたにかずや)さんの存在があったからです。

ADVERTISEMENT

 味谷さんは、私のフジテレビ時代の同じ部署の先輩です。それも、読売新聞大阪社会部の記者出身で、フジテレビに中途入社した珍しい経歴の持ち主。ディレクター経験も豊富で、新聞記者時代の知見と取材力を生かした『NONFIX』の「なんでやねん!西成暴動」や、FNSドキュメンタリー大賞に輝いた「幻のゴミ法案を追う」など、社会派のドキュメンタリーを手掛けていました。年は一回り離れて(私より12歳年長)いますが、よく番組について議論する関係でした。

©文藝春秋

映像制作会社である「蒼玄社」を設立

 フジテレビ時代には一緒に仕事をしたことはなかったのですが、私が辞めた後も何かにつけて気にかけてくれて、味谷さんがプロデューサーの番組で、私の後輩がディレクターデビューするときなどに、「アドバイスをしてやってくれんか」と、私を構成作家として起用してくれたこともありました。

 そんな味谷さんが『ザ・ノンフィクション』のチーフプロデューサーとなり、「大島もそろそろノンフィクションをやったらどうや」と声を掛けてくれたのです。さらに、「フリーだとお前の企画でもどこかのプロダクションを経由しなきゃいけなくなるから、会社を作れ」と勧めてくれたのも味谷さんでした。ディレクター個人だと「ギャランティ」になりますが、会社にしていれば「制作費」という形で、もっとまとまった金額で仕事を受けることができるからです。(リスクも生じますが)

 味谷さんの助言によって、私は映像制作会社である蒼玄社(後のネツゲンの前身です)を設立しました。ネーミングの由来は、蒼(=素人)玄(=玄人)です。プロフェッショナリズムを持ちながら、この仕事に就く前の初心を忘れず、という思いで決めました。私1人の会社だった6年間はこの社名でしたが、2009年に仲間と一緒に新しく出発するときに「出版社、あるいは政治結社みたい」という声が上がり、ネツゲンに変えました。