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『なぜ君』につながっていくドキュメンタリー

 実は、味谷さんに最初に持ち込んだ企画が、小川淳也さんのドキュメンタリーです。小川さんと妻の明子さんは、私の妻の高校の同級生。妻から「小川くんっていう、野球部で、めちゃくちゃ勉強ができてさわやかな好青年が、東大を出て官僚やっとんたんやけど、あっちゃん(明子さん)の猛反対を押し切って出馬するんやって」と聞いたのです。時は小泉純一郎政権の時代、野党民主党からの無謀とも言えるチャレンジに興味を持ち、カメラを回しました。2003年の秋のことです。

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 しかし、味谷さんから「取材対象がひとりでは難しい」と言われ、小川さんだけでなく、旭川の無所属の男性と横浜の社民党の女性も取材することになりました。私は小川さんの取材をメインに3か所を回り、それぞれの候補者に知り合いのディレクターやカメラマンに張り付いてもらって密着するスタイルをとりました。番組のオンエアは選挙後だったので、放送法に抵触するということはありませんでしたが、やはり1人の候補者だけというのはバランスを欠くという判断があったそうです。

味谷さんから学んだ多くのこと

 加えて、面白さという意味でも群像劇のほうがいいだろう、ということでした。番組は、2003年11月16日に放送されました。タイトルは『地盤・看板・カバンなし ~若手3候補者が見た夢と現実~』です。いずれも初出馬、親が政治家という背景を持たない30代の候補者たちは、全員落選しました。こうして一度小川さんの選挙を取材した番組を作った経験が、後の映画『なぜ君は総理大臣になれないのか』や『香川1区』につながりました。

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 ちなみに味谷さんは実に多才な人で、番組のオープニング・エンディング曲『サンサーラ』の作詞・作曲をしています。一度耳にしたら頭を離れない「生きて~る、生きている~」という、あの曲です。本名とは別のペンネームを使っていましたが、番組のプロデューサーがテーマ曲を作るというのは稀有なことです。話芸が巧みな大阪のおっちゃんキャラですが、哲学への造詣が深く、時にずばっと本質的なことを語ります。

 実は「右手に花束、左手にナイフ」も、味谷さんから聞いた言葉がきっかけでした。味谷さんのオリジナルは「花束とピストル」でしたが、私がそれをアレンジしました。事件記者としてならした味谷さんから、私は実に多くのことを学びました。