ちなみに、秋元康さんとはその後もお付き合いが続き、仕事をご一緒する機会もありました。何度もお会いしていますが、あまり打ち解けた関係とは言えません。緊張感を保ったまま今に至るのですが、作り手としての私を認めてくれているような気はします。秋元さんご自身の仕事の領域は大メジャーですが、実は秋元さんはマイナーな映画やアートなどにも造詣が深いのです。
直近にご一緒したのは、2019年にNHKの番組のためにニューヨークで撮影をした時でした。美空ひばりさんの『川の流れのように』を作詞した時のことについて、秋元さんにインタビューをしたのです。そのロケの時の雑談の中で、秋元さんにこんなことを言われたのが強く印象に残っています。「大島くんがテレビでいいものを作るっていうのはもうわかったからさ、今後は原一男さんみたいにすごいドキュメンタリー映画を撮ってほしいな」
畏れ多くも、ありがたく受け止めました。
『ザ・ノンフィクション』の難しさ
フリーのディレクター時代の仕事でもう1つ触れたい番組は、フジテレビの『ザ・ノンフィクション』です。1996年に私がディレクターデビューした番組であり、2022年の今も続く長寿番組です。2021年には放送1000回を超え、毎年のように国内外のテレビアワードで受賞しています。固定ファンが多く視聴率も好調な、民放を代表するドキュメンタリー番組です。
しかし私は30代の頃、2つの点でこの番組に携わることを躊躇していました。1つは、フジテレビを辞めたわけですから、敷居が高かったということがあります。会社に残っている人から見たら、辞めた人間が出入りすることに違和感を覚えてもおかしくありません。上層部の中に、「大島は使うな」と言っている人がいると私に教えてくれた人もいました。真偽はわかりませんが、そうした空気に「望まれていない場所で作るのもなぁ……」と思っていました。
もう1つは、番組が持つテイストの問題です。『情熱大陸』が、各界で活躍する人や著名な人物のドキュメンタリーであるのに対し、『ザ・ノンフィクション』の取材対象者はほとんどが市井の人々です。それも、長引く平成不況と呼ばれる時代に、苦難の日々を送る人々にスポットを当てています。
2011年の東日本大震災以後は、社会がまとう空気と番組のテイストがマッチし、固定ファンを増やしていったと思います。それだけ、この番組にはある種の普遍性があると思うのです。