年齢と共にアシスタントの仕事は減っていく。それなら…
――『ROOKIES』は1998年から2003年まで長期に渡る連載でした。連載が終わって次の現場に移る時は、どんなプロセスなんですか?
アッツー 普通は自分で募集しているところを探して行くケースがほとんどですけど、僕はその頃になると正直どんな絵でも描ける自信があったので、担当さんに「とにかく月30万稼げる職場だったらどこでもいいので紹介してください」と、お金前提でお願いしたんです。
それで『シャーマンキング』(武井宏之)を紹介してもらって、終わったら次は『DEATH NOTE』(原作:大場つぐみ 作画:小畑健)、終わったら『NARUTO -ナルト-』(岸本斉史)という感じで、いずれも最終回まで手伝いました。
アシスタントをやりながら、自分の作品も同時に描いていた時期もあります。知り合いから「ウチで描きませんか?」と声をかけてくれたところがホラー誌だったんです。もともとホラーは好きなのでやりたかったし、条件も厳しくなかったので、これならアシスタントを続けながら描けるなと思って2年間ほど描いてみたことはあります。ただ、アシスタントとしてそこそこ頑張っていたので給料はかなりよかったんです。それを辞めて漫画家一本にしてしまうと、とてもじゃないけど暮らせなかったのでアシスタントを選んだという感じですね。
――このままアシスタントを続けるべきかどうか考えたことはありますか?
アッツー 実際、年齢とともに仕事が減っていくんです。漫画家さんは年齢が上がっていけばいくほど固定のスタッフを確保するようになるので、僕みたいにフリーのアシスタントは入る余地がなくなって、運よく空きに入れるか、新人の手伝いをするかの二択になるんですけど、どんなに実力があっても隙間がない。となると自分の年齢が邪魔するなと思ったんです。だって、デビューしたばかりの若い子が面識もない40代のスタッフを入れるのって怖いじゃないですか? 呼ばれないんです。
――どうやって打破したんでしょう。
アッツー それもYouTubeを始めるきっかけのひとつです。顔出ししてしゃべっているとキャラクターが見えるなと思って。僕、見た目がこんな感じだから、しゃべらないと怖がられるんです(笑)。そうやってると“ああ、この人は怖くないんだ”と先生が知ってくれる。結果、仕事が増えたんです。
名前も最初は本名でやってましたけど、いっそのことあだ名にしてキャラクター化しちゃった方がいいよねってことで「アッツー」に変えて、くだらないことやバカバカしいことをしゃべって。そしたらみんな気軽に話しかけてくれるんです。20歳ぐらいのデビューしたての子からも「仕事してほしい」と依頼が来ました。