「ドイツは余計なことを考えたから負けた」という声も…
すると翌日、東京新聞が『W杯 人権問題に揺れる』という記事を一面で報じた(11月25日)。ドイツ代表に対し日本ではツイッター上で「パフォーマンス」「ドイツは余計なことを考えたから負けた」と批判的な声もあったと伝え、
《日本ではスポーツの場での抗議活動に否定的な声もあり、識者は「人権問題への鈍感さ」を指摘する。》
信濃毎日新聞の一面コラムは、
《選手が開催国の人権状況に異を唱えるのを「政治的」と禁じていいのか。フタをしてやり過ごす狙いが透ける(中略)世界の現実や課題が見えてくる国際大会で「黙って競技だけしろ」と言うのなら、選手の人権をも損なう》(11月25日)
カタールが批判されているが、招致活動で買収疑惑があったのは競争相手がいたからだ(日本も2022年大会の招致活動をしていた)。興行主(FIFA)こそ問われる。外国人労働者問題で言うと、日本には技能実習生問題があり、さらには入管での死亡事件も相次いでいる。日本で開催していても人権問題を提起されていたかもしれない。カタールだけの話ではないのだ。大規模なスポーツ大会は世界が注目するからその時々の社会の姿が映し出される。
ワールドカップ報道に望むこと
先述した1990年のワールドカップを思い出してみる。32年も昔だからサッカーの話題だけで牧歌的だったかと言えばとんでもない。前年に起きた東欧革命ではベルリンの壁が崩壊。その翌年のワールドカップで「西ドイツ」が優勝したのでむしろ社会情勢とセットで語られていたのを思い出す。
そう考えると今大会もサッカーはもちろん、ワールドカップで起きていることも「全部見る」という態度が必要なのではないか? 自然なのではないか。新聞各紙には試合だけでなく「全部くわしく報じる」という姿勢もお願いしたいのです。ニュースってそういうことだから。