最後まで希望を捨てたくなかった
死後、千鶴子さんの家には写真がほとんど残っていなかった。
すべて生前に自分で処分してしまったようなんです。娘は「何も残したくない。自分の生きた証を残したくない」と、よく言っていました。あの時は思うようにならない体への苛立ちからそう言っていると思っていたのですが、今思えば「死」を覚悟していたんでしょう。
自分の写真を処分し、葬儀の方法を夫に話し、飼い猫は父親の許可を得て実家に託していました。身の回りをきれいにして、死の1年前から私たちに「がんばったよね。もういいよね。いいって言って」と何度も口にしていたんです。
それに対して「いいよ」なんて、母親の私には言えません。でも苦しむ娘に「がんばれ」とも言えませんでした。なんて言えばいいのかわかりませんでした。バカみたいですよね。
当時は娘に治ってほしかったから、あの子が死に向かうことを受け入れられませんでした。だから遺言ともいえる言葉をしっかり聞いてあげられなかった。次々に新薬を試し、次の薬は合うかもしれない、寝て起きたら元気になっているかもしれないと、最後まで娘が死ぬことを受け入れられなかったし、希望を捨てたくなかったんです。
在宅介護は本人も家族も救われない
また、余命2年と宣告された頃、娘は「要介護2」の判定でした。それなのに「若いから」という理由で介護サービスをしばらく使えなかったんです。保健所や介護センターに何度足を運んでも変わりません。最後は、厚生労働省にまで直接連絡しました。
そんなこと、有り得ないと思うでしょう。でもそうなんです。高齢者のための「介護保険」なんだなと思いました。介護サービスは基本、お年寄りが対象。法律がどうであれ、実態はそうなんです。
私だってできるなら、娘を気持ちよく家で看取りたかった。でも若く、しかも病気の人にはハードルが高い。
病気には痛みや苦しみがあります。そんな病気の人を家で看るのは本当に大変です。専門知識がない中で、どうやって家で最期まで看ればよかったんでしょう。
訪問看護師さんなり、先生なりが「状態が悪くなった時はこう、こういう時はこうしてくださいね」と手当てや対処法を教えてくれたら、ここに電話したらいいと言ってくれたら、違ったでしょう。お医者さんは立ち会えず、訪問看護師さんもすぐ来れない。
そういった状況で死の間際に娘が血を吐いたり、いろんなことがあったら素人はどう対処したらいいかわからないですよ。娘が希望したから最期は自宅で看取りました。でも、本人も家族も救われない。娘が苦しそうで……何をどうしていいかわかりませんでした。後悔することのほうが多かったと思います。