自らの「最期」を迎える場所として、ほとんどの人が自宅を希望する。しかし現実は異なり、現在の日本では8割の人が病院で最期を迎える。では、「家で死ぬ」にはどうすればいいのか。そして、「家で死ぬ」場合、実際にはどのような最期を迎えることになり、家族はなにを思うのか――。

 ここでは、在宅死に関わる人々や終末期医療の現場に足を運び、在宅医療の最新事情を追ったジャーナリスト・笹井恵里子氏の著書『実録・家で死ぬ 在宅医療の理想と現実』(中央公論新社)より一部を抜粋してお届けする。(全2回の1回目/2回目に続く)

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大切な人の“徐々に衰えていく姿”を受け止められるか

 終末期を病院で過ごそうとしたのに追い出され、サポート者に恵まれず、“通い”で母親を家で看取った人もいる。

 2016年秋、鈴子さんは白血病を患っていることがわかり、翌17年3月10日、白血病という病名も余命も知らされないまま自宅で亡くなった。84歳だった。

白血病を患い、84歳で亡くなった鈴子さん

 鈴子さんの娘で、葬儀業を営む小平知賀子さんはほぼ毎日のように実家に通って身の回りのケアを行った。「家で過ごした日々は、良いことも悪いことも強く記憶に残っている」と話す。

 死に向かう過程は壮絶で、家族にとって悲しい姿を目にすることもある。あなたは大切な人を看取る時、“徐々に衰えていくその姿”を受け止められるだろうか。

 母は、お風呂で体を洗ってあげるたびに、背中が小さくなり、足の筋肉は一気に衰えてみるみる細くなっていきました。白血病のため内出血した大きなアザがところどころにあって、痛々しかったです。

「がんばれ」とは言えず「大丈夫よ」と繰り返す日々

 何より死を前にし、母には恐怖、苦しみ、心の葛藤があったようでした。それが見ていて一番つらいことでした。

 痛みを緩和するため、少量のモルヒネ(麻薬性鎮痛薬)を処方してもらっていたのですが、亡くなる1か月前から時折、せん妄(認知機能の障害)が起こりました。

鈴子さんが死に向かう過程は壮絶だったという

「お母さん、お母さん」「お兄ちゃん」「あなた、あなた」

 眠りながら、すでに亡くなっている人たちを母は大きな声で呼び、ドタンバタンと動いているんです。

 かと思えば、急に意識が戻って「なんだかすっごく眠れるんだよね」と、私に話しかけてきました。

 亡くなる10日前のこと。私がいつものように部屋を訪ねると、母がうっすら目を開けて、「知賀か」と聞いてきました。

「そうだよ」

「お母さん、がんばったけどもう無理だ」

 私はそんな母に「がんばれ」とは言えず、「大丈夫よ」と繰り返すしかありませんでした。