そして母の体は亡くなる1週間前くらいから、どんどん冷たくなっていったんです。手でさすってもちっとも温かくなりません。布団の中に湯たんぽを入れて温めてあげようとすると、顔だけが火照ってしまうんです。体温は正常ですし、本人は「暑い」というそぶりで布団をはいでしまう。けれども日を追うごとに体がまるで氷のように感じられました。生きている人の体ではないみたいで。
母の意識が低下 普通に会話をすることが困難に
死の6日前には突然、母がしみじみお礼を言ったのです。
「人間、誰もが死ぬ。お前には本当に世話になったなぁ。あの世に行ったらきっちりお返しをするからね」
病名も余命も知らない母が死を受け入れている、と感じました。
その翌日から母の意識は低下し、普通に会話をすることが難しくなったのです。
当時のことを思い出しながら知賀子さんが涙をぬぐう。
鈴子さんには、長女、そして次女の知賀子さん、弟(長男)の3人の子どもがいる。夫はおよそ30年前に心疾患で亡くなっている。
夫の生前に、二世帯住宅に建て替えられた家。やがてそこに長男夫婦が住むようになる。
1階が鈴子さん、2階が長男夫婦の住まいとして、この20年間暮らしてきた。
病気が見つかってから亡くなるまで、およそ5か月間の闘病。訪問医も訪問看護師も頼りにならなかったと、知賀子さんは憤る。母と同居している長男夫婦もよほど助けを求めなければこちらに手を貸さなかったという。
病院側から「退院」を求められる
そもそも、なぜ家で看取ることを決断したのだろうか。
2016年10月のある日、母は手がしびれて、自分で「脳梗塞」を疑い、かかりつけの病院に行ったんです。そこから近所の大きな病院にまわされて1週間の検査入院をしました。退院後、脳梗塞というより脊髄に問題がありそうだとなり、今度は大学病院の受診を勧められたのです。
そして11月の初めに白血病と診断され、医師から「1週間ももたないと思うから」と、緊急入院。この時、家族はもしかするともう自宅に戻れないかも、と思いました。それが2週間の入院を経ると、一旦容体が落ち着いて、退院が可能になったのです。でも退院直後から下痢がひどくなり、12月中旬に再入院。再入院の際、母が抗がん剤の副作用を訴えていたこともあり、担当医から「早く退院して家で看取ってほしい」というニュアンスのことを言われました。
「体制が整っていません。いきなりそんなことを言われて、家で看取れると思いますか」
私が担当医に詰め寄ると、医師は黙って顔を背けました。