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“鉄道では行くことができない最大の街”「鹿屋」には何がある?

南の南へ#2

2023/01/16

genre : ライフ, , 歴史, 社会

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 鹿屋は、いわずとしれた基地の町だ。1936年に帝国海軍鹿屋航空隊が設置され、戦争末期には特攻の基地にもなった。鹿屋の飛行場から南方へ、若者たちが死を覚悟して飛び立っていったのだ。

 その基地は海上自衛隊鹿屋基地となっていまに続く。置かれている第一航空隊は海自で最初の航空部隊で、南西諸島哨戒の任務に当たる。また、離島の緊急患者輸送なども、鹿屋基地の大事なお仕事のひとつになっている。

 さらに、鹿屋には、規模こそ小さいものの、唯一の国立体育大として知られる鹿屋体育大学もある。自衛隊や大学の存在が、10万都市という規模の背景になっているのだ。

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かつては「鹿屋」にも鉄道があった

 そして、いまは鉄道のない街だが、沖縄本島や淡路島でもそうであったように、最初から鉄道がなかったわけではない。かつては、国鉄大隅線というローカル線が通り、街の中心近くに鹿屋駅というターミナルを持っていた。

 

 国鉄大隅線は、日豊本線の国分駅から分かれて大隅半島の鹿児島湾沿いを走り、垂水などを経て大隅高須駅から内陸へ入って半島を横断。その途中に鹿屋駅があり、最後は日南線の志布志駅で終わる路線だった。

 最初は南隅軽便鉄道(のち大隅鉄道に改称)が1915~1923年にかけて古江~鹿屋~串良間を開業させ、国有化されて1936年に志布志まで延伸。戦後の1972年に国分~古江間が開業して、全線が完成している。

 大隅線は鹿屋を中心とした大隅半島の発展に大いに貢献した路線であった。中心市街地形成にも影響を及ぼしたのだろう。スナック街は、その頃からあったのかもしれない。