列車を降りると、いきなり目に飛び込んできた「白兎モード」
郡家駅で列車を降りると、いきなり「白兎モード」に彩られていた。
駅舎を兼ねるコミュニティ施設「ぷらっとぴあ・やず」には、「白うさぎに会いに八頭町へおいでやず」と書かれた看板が掲げられ、「うさぎテラス」と名付けられた展示・休憩スペースも設けられていた。駅前には「神ウサギ」と名付けられた石像も2体ある。
ただし、実際の伝説に関係する建造物などは地味なものだ。
郡家駅から歩いて10分強のところにある「白兎神社」。田んぼの中に大木が2本立っているが、鳥居と小さな社殿、そして狛犬(こまいぬ)ならぬ「狛兎」が据えられているほかは何もない。
どうして、このような場所にポツンと「白兎神社」があるのか。それを知るために、さらに30分ほど歩いて成田山青龍寺へ向かう。
青龍寺は古事記が編纂(へんさん)された少し前の西暦710年に創建されたといい、鎌倉時代に作られた木造の持国天と多聞天の立像が国の重要文化財に指定されている。
ちょうど住職の城光寺照進さん(67)がいた。
「寺には代々受け継がれた『城光寺縁起』という巻物があります。写し写し伝えられてきたようで、一番最後は江戸時代の『安政』の年号が記されています」
町内では、慈住寺の記録にも白兎関係の記載があるそうで、それらも踏まえて解説してもらう。
降臨した天照大神を案内して姿を消した“白兎”
「青龍寺の近くの中山(なかやま)という山に、天照大神(あまてらすおおみかみ)が降臨したそうです。『しばらく因幡にとどまりたい。行宮(あんぐう、仮の御所の意味)をどこかに置けないか』と探していたところ、一匹の白兎が現れて、尾根伝いに道案内をしました。白兎は伊勢ケ平(いせがなる)という場所まで導いて姿を消します。天照大神はここが気に入り、行宮を建てました。しばらくして、兵庫県境の山越えに去って行きましたが、その時に日の光に当たった枝葉がとてもきれいだったので、「日枝(ひえ)の山」と名付けられました。これが現在の氷ノ山(ひょうのせん)です」
氷ノ山は鳥取と兵庫の県境にそびえる標高1510mの山だ。兵庫県では最高峰となっている。
「白兎が道案内をした尾根伝いには四つの集落がありました。門尾(かどお)、福本、池田、土師百井(はじももい)です。人々はここに三つの神社を設け、『道祖白兎大明神』を祀りました。江戸時代には150軒以上の氏子があったと記録されています。
しかし、明治政府は合祀(ごうし)令を出しました。神社を合併させて数を減らしたのです。大正時代に白兎大明神を祀った三つの社も他の神社へ合祀されてしまいました。
そのうち福本の白兎神社は、鳥取市の白兎神社と本殿の大きさが同じという立派さでした。朽ちさせてしまうのはしのびないと、先々代の住職、つまり私の祖父が青龍寺に引き取り、本堂の中に据えたのです」
城光寺さんはそう説明するや、本堂の奥に案内してくれた。
後ろを付いて行くと、なんと不動明王像の後ろに「白兎神社」の社殿が、そっくりそのまま移設してあった。
本堂の中に、神社の社殿がある寺は、全国でもかなり珍しいのではなかろうか。
「あそこにウサギの彫り物が見えますよね」。城光寺さんの指先を見ると、社殿には躍動感あふれるウサギの彫り物がある。