そうした時代はほどなく終わるが、次いでやってきたのは高度経済成長だ。もともとふたつの線路が交わって交通の便が優れていた大和の市街地化が進むのはとうぜんのなりゆきだった。
大和市が成立した1959年時点では、3万5000人程度だった人口は15年後には12万人を超えるまでに増えた。20~30代の家族が転居してくるケースが多かったというから、いまの時代からしたら垂涎のお話である。
60年で20万も増えた人口を支えたのは…
交通の便に優れているという強みは時代背景には関係なく、いまも同じだ。その後も大和の人口は増え続け、いまでは24万人を超えている。大和駅の周囲、商業地帯を抜けるとひたすら延々と、相模原台地の上に広がる住宅地。かつての田園地帯が住宅地に変わっていって、60年間で20万人も増えた人口を受け止めたのだろう。こうして、いまの大和の町ができあがったのである。
大和駅前、高架と地下で十字に線路が交差している町の中心の、四方に広がる商業エリア。駅前という立地もあって、古い商店街が苦しい状況にあるのは大和とて同じかもしれない。が、駅からは一日中老若男女、たくさんの人が吐き出されてくる。
駅前の「プロス」から東に向かって相鉄地上線跡を少し歩くと、何やら真新しい巨大施設が見えてくる。2016年に完成した、「YAMATO文化森」という。その中には、大型の図書館も入っていて、年間来館者数が自称日本一なのだとか。駅前から図書館までの遊歩道には、「図書館城下町」などという幟もはためく。たった100年ばかりのうちに田園地帯が大市街地に変貌した大和の町は、これからどう変わってゆくのだろうか。
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