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家畜の被害のみならず猟師2名が亡くなる惨事に

 1962年は、道東でヒグマ被害が相次いだ年だ。十勝岳が6月に噴火したことで道東の広範囲が降灰に見舞われ、夏の長雨もあって、クマの食料が不足していたと見られる。特に標津町では秋に入ってクマ被害が多発しており、酪農を主要産業とする標津町は熊害対策本部を設置し、根室支庁を通じて陸上自衛隊第5師団の災害派遣を要請した。

 最近でも、2019年から標茶町や厚岸町で家畜に被害を出している「OSO18」と呼ばれるヒグマが話題になっている。しかし、OSO18は単独のヒグマであるのに対して、1962年の標津町の事例では複数のヒグマが地域に出没して家畜を襲っていた。それこそ、毎日のようにクマを撃ったと報告があるのに、家畜に被害が出る状況だったという。

 OSO18との最大の違いは、人的被害も生じていたことだ。生涯で63頭のクマを仕留めた73歳の男性は、9月24日にワナの見回りに銃を持って出かけたところ、翌日に背後から襲われて亡くなっているのが発見された。翌月、仇討ちに出た男性の息子も背後から襲われ負傷している。また、これもベテランのアイヌの猟師も市街地に近い場所で襲われて亡くなるなど、駆除に関わっていた猟師2名が亡くなる惨事となっていた。

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害獣への武器使用は法的に可能?

 当初、派遣された自衛隊部隊は学童の護送や地域のパトロール活動のみで、クマに対する武器の使用は狩猟法(現:鳥獣保護管理法)を盾に否定的だった。しかし、地域からの「人の生命より法律がだいじなのか」との声によって、応援部隊の到着を待ってクマ狩りを展開することになったと前掲の週刊読売の記事は伝えている。

自衛隊員に手を引かれて通学する児童(「週刊読売」1962年11月4日号より)

 害獣相手に自衛隊の武器が使用できるか、と疑問に思われる方もいるかもしれない。自衛隊法第94条では災害派遣時の自衛官の権限を定めている。これは警察官の職務執行における手段を定めた警察官職務執行法に準じていて、警察官がその場にいない場合、「人の生命若しくは身体に危険を及ぼし、又は財産に重大な損害を及ぼす虞のある天災、事変、工作物の損壊、交通事故、危険物の爆発、狂犬、奔馬の類等の出現、極端な雑踏等危険な事態がある場合」(強調部筆者)においては、「危害防止のため通常必要と認められる措置をとることを命じ、又は自らその措置をとることができる」としており、これに則った対応を取ったと考えられる。

 実際、自衛隊によるクマ狩りはこれが初めてではない。1961年9月5日には、北海道松前地方でのクマによる農業被害を受けて、海上自衛隊函館基地隊から隊員3名と猟銃5丁が出動して、5日間のクマ狩りが実施されたと1962年の自衛隊年鑑に記されている。60年代は自衛隊によるクマ狩りが度々行われており、現在とは異なる切迫した空気を感じさせる。