とは言いながらも、取材を終えてその結果を世に出せば、すでに公表されている記事の検証取材となるわけなので、多少面倒臭いことになる、という予感は最初からあった。しかも取材の目的は「金峰に夜這いの風習があったかどうか、確かめる」というもの。
行くとは決めたものの、多忙な夫に子供を預け、遠路はるばる山口県周南市の山奥まで出向き、夜這いについて村人に話を聞いてまわる。
「夜這いの取材かぁ……」
ノートパソコンを開いて取材前の情報収集をしながら、年末の夜中にリビングでひとり思わず呟いてしまった。
夜這い
この21世紀に、夜這いの取材。ちゃんと話が取れるのかと不安になる。
だが、引き受けたからにはやらねばならない。山口県は民俗学者・宮本常一の出身地でもある。こうなったら宮本常一になりきって、村人たちに聞き取りを行おう。これはすでに滅びた日本古来の風習を探るフィールドワークなのだ。そう思い込むことにした。
それに件の記事には、保見への“いじめ”は確かに存在し、その発端が戦中の“強姦未遂事件”であると記されているのだから、それを確かめることは、一応“いじめ”に絡む取材につながる。西へ向かう新幹線の中で私は腹を決めた。
民俗学者らの文献や、伝承ものの書籍には、夜這いについての記述がいくつもある。宮本常一の『忘れられた日本人』に収録されている「土佐源氏」は現在の高知県檮原町で“乞食小屋に住む元ばくろうの老人”から聞き取った昔話で構成されているが、この老人の父親は、母の“夜這いの相手”だった。
昭和の初めごろまであった「若衆宿」
おなじく同書収録の「世間師」では、宮本の故郷である周防大島でふたりの老人から聞き取りを行っている。このうちひとりは江戸幕府によって長州征討が行われた1865年に14歳だったという男性だが「戸じまりが厳重になったため、娘のところへ夜這いに行けなくなってしまった」とある。
また民俗学者の赤松啓介は『夜這いの民俗学・夜這いの性愛論』で、実際にさまざまな村へ足を運び、ときには村のコミュニティに入り込んで、夜這いについて聞き取りを重ねていた。
ともに夫の転勤で徳山へ来たという向谷喜久江と島利栄子によって記された『よばいのあったころ 証言・周防の性風俗』では、山口における夜這い文化について、老人たちに聞き取りを行っている。ここには「山間部の部落には、若衆宿が、昭和の初めごろまであった」とある。若衆宿とは、その集落で一定の年齢に達した男子たちが集まる場所で、規律や生活上のルールに加え性的な事柄も伝えられていた一種の教育施設だ。こうした文献に照らせば、金峰地区にかつて夜這い文化があったとしても全く不思議ではない。
だが戦中まで、となるとどうだろうか。