2013年7月、村人12人中5人が殺害された「山口連続殺人放火事件」。長らく関東で働いていたが、90年代に村にUターンしてきた犯人男性はどんな人物だったのか?
事件が起きた村を取材し、犯人とも面会したノンフィクションライターの高橋ユキ氏の新刊『つけびの村 山口連続殺人放火事件を追う』より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)
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「事件の真相」を知った理由
その“真相”を知ったのは、事件から3年半も経った2017年1月。
取材のために金峰地区を訪れたときだった。
私は東京で週刊誌の記者として働きながら、主に殺人事件の公判を取材するフリーライターとしても活動していた。取材に出向くひと月前、ある雑誌の編集者が「山口連続殺人事件」について改めて取材して記事を書いてみないかと声をかけてくれたのである。
保見光成はすでに5人に対する殺人と非現住建造物等放火の罪で起訴され、山口地方裁判所の一審でも、広島高等裁判所の控訴審でも死刑判決が言い渡されており、事件は最高裁に係属していた。
逮捕当初こそ「殺害して、その後、火をつけた。私がやりました」と犯行を認めていた保見だったが、2015年6月25日、山口地方裁判所で開かれた裁判員裁判の初公判で突然、自白を翻し「火はつけていません。頭をたたいてもいません。私は無実です」と無罪を主張していた。
大量殺人を犯したとされる被疑者については、まず起訴前に精神鑑定を行い、問題がない、つまり事件当時に完全責任能力を有していたと判断されたのちに起訴されるという流れが一般的である。これを起訴前鑑定という。さらに起訴後の公判前整理手続という非公開の手続きにおいて、争点が責任能力であるとなれば、改めて精神鑑定が行われる。これが本鑑定と呼ばれる。
本鑑定の結果に抱いた疑問
保見に対しては一審が開かれる前に、この2つの鑑定が行われた。起訴前鑑定では事件当時の保見には「完全責任能力」があると判断されたが、起訴後の本鑑定では「妄想性障害」と判断されていた。
これをもって、一審公判で弁護側は責任能力について「心神喪失」もしくは「心神耗弱」を主張した。加えて保見は、放火も殺人も自分がやったのではないと、犯人であること自体を否認したのである。だが同年7月28日の判決公判で、山口地裁は保見に死刑を言い渡した。「妄想性障害」は認めたが、「完全責任能力」を有していたという判断だった。また放火も殺人も、犯人は保見以外に考えられないと結論づけられた。
「鑑定人によると、被告は両親が他界した2004年ごろから、近隣住民が自分のうわさや挑発行為、嫌がらせをしているという思い込みを持つようになった。こうした妄想を長く持ち続けており当時、妄想性障害だったと診断できる。『自分が正しい』と発想しやすい性格傾向と、周囲から孤立した環境が大きく関係し、妄想を持つようになった。
この鑑定は合理的であり、これを基に責任能力を検討すると、被告が当時、自己の行為が犯罪であるという認識を十分有していたことは明らか。凶器となる棒を携えて各被害者宅を訪れ、殺害後に自殺しようと山中に入っており、善悪を認識する能力も、その認識に基づいて行動する能力も欠如したり、著しく減退したりしていない。被告は当時、完全責任能力を有していた」(山口地裁の判決)